2008年5月 6日 (火)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008終わる: ツァハリアスさんとローザンヌ室内管弦楽団

 今年も最終日の最後のコンサートを聴いて来ました。Aホールで8時から開演予定のクリスティアン・ツァハリアス指揮・ピアノのローザンヌ室内管弦楽団によるシューベルト/ウェーベルン: ドイツ舞曲D820とベートーベンのピアノ協奏曲第2番です。

 最後の演奏会のためか開演が10分少々遅れました。クリスティアン・ツァハリアスさんが通訳の女性を伴って現れ、おもむろにピアノ独奏でシューベルトの原曲1〜3曲を引いた後にウェーベルンの管弦楽用の編曲1〜3曲、シューベルトの原曲4〜6曲を引いた後にウェーベルンの管弦楽用の編曲4〜6曲を弾きます、と説明して演奏が始まりました。普通はないスタイルで演奏してもらえると知って、私も含め聴衆は大いに喜びました。

 ウェーベルンがシューベルトの編曲をするなんてなんだか不思議な気がしましたが、その編曲は無調とか12音音楽とかには関係がなく、ごく普通に心地よく聴けました。
 さて、次のベートーベンのピアノ協奏曲第2番は、さすがにすばらしい演奏でした。演奏されることの少ない曲ではあると思いますが、プログラムにあったように、やはり第3楽章が楽しく聴けました。
 その後に、また通訳の女性を通して、シューベルトの音楽祭だからシューベルトで終えましょうとツァハリアスさんが説明し、アンコールとして交響曲第2番の第2楽章が演奏されました。私は初めて聴く曲で、のどかな変奏曲(?)といった感じでした。音楽祭を締めくくるにはふさわしい曲だったと思います。

 アンコールが終わったあとには拍手が続きました。私を含め、聴き手は大いに満足していたと思います。ひとしきりの拍手のあとにオーケストラが退場し、それでも拍手が続いたために、ツァハリアスさんとオケのメンバーすべてが再度舞台に戻って来るという、普通はお目にかかれないような情景が展開されました。

 最後はオケのメンバーがさようならと手を振りながら退場していきました。う〜ん、こういう交流ができるのがラ・フォル・ジュルネのいいところなんだよな、と思いつつ、国際フォーラムを後にしました。来年がまた楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 5日 (月)

お知らせ: レタードローイング・アベニュー (文字絵グッズ販売サイト) を開設いたしました

 文字絵研究所では、5月中をめどに、レタードローイング・アベニューにて文字絵グッズの通信販売を開始いたします。本日は新作の25枚のポストカードのデザインをアップいたしましたので、お知らせいたします。人気のロマン派 :

 (26) ルートビヒ・バン・ベートーベン、(27) ニコロ・パガニーニ、(28) カール・マリア・フォン・ウェーバー、(29) ジョアキーノ・アントニオ・ロッシーニ、(30) フランツ・ペーター・シューベルト、(31) エクトル・ベルリオーズ、(32) ヨハン・シュトラウス 1世 、(33) ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル、(34) フェリックス・メンデルスゾーン、(35) フレデリック・ショパン、(36) ロベルト・シューマン、(37) フランツ・リスト、(38) リヒアルト・ワーグナー、(39) ジュゼッペ・ベルディ、(40) クララ・シューマン、(41) セザール・フランク、 (42) アントン・ブルックナー、(43) ヨハン・シュトラウス 2世、(44) ヨハネス・ブラームス、(45) パブロ・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス、(46) エドワード・エルガー、(47) ジャコモ・プッチーニ、(48) グスタフ・マーラー、(49) リヒアルト・シュトラウス、(50) アレクサンドル・スクリャービン

44050408


 
作曲家文字絵はクラシック音楽を愛する方々からご好評をいただいております。(26)、(28)、(38)、(45)、(47)の5人は今年の東京フィルハーモニー交響楽団ニューイヤーコンサート2008のプログラムに載せていただきました。また、2007年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで扱ったグッズも販売いたします。文字絵研究所では、これからもユニークな作曲家文字絵のグッズを多数そろえてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

文字絵グッズの通信販売サイト * レタードローイング・アベニュー

http://letterdrawing.cocolog-nifty.com/ld/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月23日 (水)

プロコフィエフの誕生日にちょっとしたお知らせを・・・

 プロコフィエフは1891年4月23日に生まれました。4月23日に生まれの有名人ではシェークスピアが有名ですが、そう言えばプロコフィエフは「ロミオとジュリエット」というバレエ音楽を書いていますね。ちなみに私はプロコフィエフもシェークスピアも好きです。

 交響曲第5〜7番あたりは傑作だと思います。あまり有名な曲ではないかも知れませんが、ピアノ協奏曲第1番もいい曲ですよ。きょうはそのプロコフィエフの文字絵をアップします。

04230_2

 さて、ここでお知らせです。まず、今年は文字絵研究所はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに出展しないことになりました。しかし、ラ・フォル・ジュルネ向けに企画していたグッズの一部を当初の予定どおり制作することにいたしました。

 昨年の「民族のハーモニー」では、文字絵で描いた25人の作曲家の似顔絵をポストカードに仕立てた「◎得25人パック」がご好評をいただきましたが、今回はその第2弾の「ロマン派25人◎得パック」を作りました。前回の25枚よりさらにグレードアップしたと自負しております。どこが? というご質問にあらかじめお答えしておきますと、切手を貼るポスト面に、作曲家の似顔絵の元になった肖像画や肖像写真を小さく入れた点です。

 実は、上のプロコフィエフも今回のポストカード化を想定して描いたのですが、ロマン派というには少し疑問があるので、ひとまずロマン派の25人からはずしました。また別の機会にポストカードにしたいと思っております。

 それと、ショパンのバッグ。このバッグは今日できました。新作のこれらのポストカードやバッグの他に、作曲家をイメージしたアロマキャンドルなども含めて、文字絵グッズの通信販売のサイトを現在準備中です。このサイトについては近いうちに改めてご紹介させていただきます。では、どうぞお楽しみに!

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 1日 (火)

文字絵のトリビア(6) : 北澤楽天の丙野茂平次 → 「もへじ」は茂平次か茂平治か?

 今日は上野に出る用事があって、それをすませてから不忍池にまわってみると桜が満開でした。池の端では骨董市をやっており、そこで文字絵の資料を2冊見つけました。まずは、これをご覧ください。

7p81

「日本の近代漫画の祖」と言われている北澤楽天の「樂天全集第7巻 ブルプロ漫画集」(昭和五年十二月十五日アトリエ社発行)の81頁です。この漫画で注目したい点は2つあり、1つは2コマめの「へのへのもへじ」で、もう1つは1コマめと2コマめの「茂平」という漢字表記です。
 まず、楽天の出身は埼玉県の現在のさいたま市、すなわち関東ですから、『へへののもへじ百面相』に従うと、「へのへのもへじ」ではなく東日本の基本型である「へへののもへじ」と言う地域のはずです。キャラクターの名前である「丙野」に引っ張られてここでは「へのへの」になったのでしょうか? 現時点では、どういうことなのかわかりません。
 次は、「…もへじ」の漢字表記が「茂平」となっている点です。今まで手にとったことのある資料で「…もへじ」は「茂平」という人名であるという趣旨の記述を読んだことがあります。
 今日入手した2冊めの資料をここで引用します。「日本こども遊び集」という特集が組まれた「太陽」1975年1月号(平凡社)の97〜99頁「文字絵・絵書き歌の世界」(徳川宗賢)からです。「もへの」「もへと」などの各地のいろいろな変種を考察している文章の一節で、

 (前略) 想像ではあるが、大人の手を離れてこどもの手に渡った後、もへじが茂平次という人名をなぞらえていることがはっきりしなくなってからの変形ではなかろうか。(後略)

 と述べられています。ここにも「もへじが茂平という人名をなぞらえている」と書かれています。ところが、今回の楽天の本の別の個所を見ると、同じ「丙野」氏を指しているのにもかかわらず、上の漫画での表記とは異なっている「茂平」という表記でがあちこちに数多く出て来ます。
 これは校正ミスでしょうか? そうかもしれませんが、「もへじ」の漢字表記が「茂平次」と決まっているわけではないようにも受け取れます。この点に関しては、歌川広重画の『狂字図句絵』の「へへののもへいじ」をなどを参照しつつ、いつかまた考えてみたいと思います。では、また。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年3月11日 (火)

文字絵のトリビア番外編? : 土佐礼子さんの「とされいこ」?

 さっき、北京オリンピックの女子マラソンの代表に決まった土佐礼子さんがTBSの朝ズバっ! に出ていて、そのときに「とされいこ」というひらがなで描かれた横顔の文字絵を持って来て見せていたような気がするのですが・・・? たまたま視線をテレビに向けたときに、そのパネルが下に伏せられるときだったので定かではないのですが……。見間違いだったのかなぁ? 誰か見た方はいませんか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 2日 (日)

文字絵のトリビア(5) : 太宰治「人間失格」の『へへののもへじ』

 小畑健さんが表紙を描いたので、集英社文庫の「人間失格」の売れ行きが伸びたということが昨年話題になりました。うちの子供が中学校の図書館で「人間失格」を借りようとしたら、誰かが借りていて所在不明と先生に言われたそうです。DEATH NOTE 風の表紙の影響かもしれません。

Photo

 ところで、この「人間失格」に1カ所、「へへののもへじ」が出てきます(p.62の最後から2行め〜最後の行にかけて)。太宰治が「人間失格」を脱稿したのは、集英社文庫の口絵の手書き原稿へのキャプションによると、昭和23年(1948年)5月だそうです。
 しばらく前から、「へへののもへじ ←→ へのへのもへじ」の異同に注目しているのですが、この時点では太宰治は「へへののもへじ」と書いていたわけです。こういう問題のときにいつも参照している『へへののもへじ百面相』によると、「東北地域はだいたい関東と同じへへののもへじ」(p.10)とあります。太宰治は津軽(青森県)出身ですから、当たっていますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月29日 (金)

お知らせ: Yahoo! JAPAN の「登録サイト」になりました

 「10億人が楽しめる手描き文字絵」がYahoo! JAPAN の「登録サイト」になりました。

「トップ > 芸術と人文 > 視覚芸術、ビジュアルアート > イラストレーション > 個人の作品集 >人物 > 10億人が楽しめる手描き文字絵」でたどりつけます。こちらです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月26日 (火)

お知らせ: Yahoo! JAPAN の「新着オススメサイト」で紹介されました

 昨日から「10億人が楽しめる手描き文字絵」がYahoo! JAPAN の「新着オススメサイト」で紹介されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月20日 (水)

文字絵のトリビア(4) : ジョン・レノンの文字絵? “ O John ”

 ジョン・レノンミュージアムのロゴを初めて見たとき、文字絵みたいだなぁと思いました。たぶん文字絵ではないのでしょうが…。
 ジョン・レノンは白隠や仙崖や良寛を愛したそうです。このうち、白隠には文字絵の作品が残されています。もしかしたら、白隠の文字絵のことを知っていたのでしょうか? それで影響を受けて自分の顔を文字絵に仕立てたとか…。
 まあ、そんなことはなかったとは思いますが、偶然にしても面白いですね。 “ O John ” You are great !

Photo

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月13日 (水)

文字絵のトリビア(2)補考: 近衛信尹と小野お通の「人丸」→ 図柄は同じ→お通が真似たのか?

 近衛信尹の「人丸」が今、Yahoo!オークションで、200万円で出ています(2月 15日 21時 47分までの予定)。
 商品紹介によると、「平成元年7月22日」付けの古筆学研究所による認定調書では、「人磨の顔(頭部)を除く姿体のすべてを文字様であらわしている。近衛信尹の奇知によって生まれた独自の描法である」とのことです。
 この記述が正しいとすると、先日ご紹介した小野お通の「人丸」は、近衛信尹の「人丸」を真似て描かれたということになります。
 ただ、可能性としては、近衛信尹が小野お通を真似たということもあり得ると思います。さらに言えば、二人で相談しながらこの「人丸」の図柄を考えた、ということもあるかもしれません。
 先日は、そんな可能性も考えて、「近衛信尹と小野お通の間に、何らかの交流があったのでは?」と書きました。
 いずれにせよ、「近衛信尹の自筆自画賛にまぎれなきものと認定」された「今日非常に貴重な品」が、例えば美術館のようなところへうまく収まってくれればいいなと思います。

 ちなみに、東京国立博物館には、近衛信尹の「人丸」と「天神」が収蔵されています。
 近衛信尹の「天神」は常設展示で何回か見たことがありますが、これは近衛信尹の文字絵としては、「人丸」よりも有名なのではないかと思います。
 一方、小野お通にも「天神」があるようです。1年半ほど前に東京国立博物館で、信尹の「人丸」とお通の「天神」(個人蔵)が並んで展示されていたようです(表の下から2番目と3番目)。惜しいものを見逃しました!!
 なぜ惜しかったかといえば、もしかしたら、信尹の「天神」とお通の「天神」の図柄も同じなのではないかという気がするからです。もし二人の「天神」の図柄が「人丸」の場合と同様に同じであれば、二人の交流あるいは影響関係に関して考える材料が出てくるかもしれません。

 最後に、古筆学研究所による「柿本人丸」の字の配置の鑑定に従って、この前のお通の文字絵の衣紋線を色分けしたものを示しておきます。では、また。

Photo

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月31日 (木)

ハッピバースデイ、シューベルト! 誕生日、おめでとう。

 Happy birthday, Schubert!  誕生日、おめでとう!  今日でシューペルト生誕211周年です(ちょっと半端ですが ... ^_^;) 。それを記念してシューベルトの新作のリアル文字絵をアップいたしました。

013107

 今年は東京と同時期にラ・フォル・ジュルネ金沢が開催されますね。

 東京のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのテーマは「シューベルトとウィーン」です。
 では、みなさん、ゴールデンウィークには東京と金沢で大いに盛り上がりましょう!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月27日 (日)

文字絵のトリビア(3): ヘマムショのことは寺田無禅に聞け!

 文字絵のなかでは、ヘマムショ入道は、へのへのもへじの次くらいに知られているのではないでしょうか。このブログでも、ヘマムショのことは何度か取り上げてきました。
 その「ヘマムショ入道」がこの1月に、ユニクロからTシャツとして発売されました。「広辞苑」第6版の刊行を記念して、その挿絵のなかから10点を選んでTシャツが制作されたのです。
 私がヘマムショ入道を知ったのは広辞苑の以前の版に出ていたのを見たからで、それは中学か高校のころだったと思います。そのときに、「文字絵はへのへのもへじだけじゃないんだ」と感心したことを覚えています。
 文字絵というジャンルを初めて意識したのがそのときでした。その後、ジャンルとして成り立つなら新しいものも作れるのではないかと考え、それが文字絵研究所を立ち上げることにつながりました。
 そういう意味で、ヘマムショ入道は文字絵研究所にとって忘れられない作品です。今日は、そのヘマムショ入道について重要な証言を残している寺田無禅についてとりあげます。
 まず、その証言とは、

 青蓮院殿にヘマムショ入道の四百年以前の物あり。その筆者不知惜哉。
                        寺田無禅話

 というものです。これは黒川道祐の「遠碧軒記」という随筆の最後に載っています。青蓮院は由緒のある京都のお寺です。そこに四百年以上前のヘマムショ入道の絵があるが、作者が誰かわからないのは惜しいことだ、という意味に解釈されます。(現在、ヘマムショ入道の絵は所在不明なようです。)
 「遠碧軒記」のこの記事は、江戸時代からいろいろなところに引用されているのですが、なぜか最後の「寺田無禅話」という肝心の記述に言及した文献がないようなのです。少なくとも私は今まで見たことがありません。
 それで、これは黒川道祐が「ヘマムショ入道の四百年以前の物」を自分で見たことがあるということだと思っていたのですが、そうではなく、たぶん寺田無禅にそういう話を聞いたことがあるということなのだと思われます。
 この「寺田無禅話」の記述の忘却、あるいは無視は江戸時代から始まっていて、例えば、喜多村信節の「嬉遊笑覧」、山崎美成の「三養雑記」では「遠碧軒記」のヘマムショ入道については言及されているのに、それが「寺田無禅話」であることは書かれていません。
 ヘマムショ入道については「嬉遊笑覧」の記述が参照されることが多いために、今では「寺田無禅話」ということは忘れられているようです。「寺田無禅話」であることは、去年「遠碧軒記」を直接確認してみてわかったことです。資料は自分で原典に当たるのが一番だということを改めて感じました。
 さて、その寺田無禅(1579あるいは1572〜1691)ですが、この人は近衛家家臣の侍で、書家です。京都国立博物館に消息(手紙)が収蔵されています。元禄4年(1691)に112歳か119歳で亡くなったとのことです。
 この前の記事で近衛信尹のことを書きましたが、山科道安の「槐記」(巻一)によると、寺田無禅は近衛信尹の次の信尋の代から基熙の代まで仕えました。山科道安は基熙の子の家熙(予楽院)の侍医で、茶道や華道に関する家熙の行状や談話を「槐記」としてまとめました。
 この「槐記」の何カ所かに寺田無禅が登場します。茶道や華道にも一家言あった人のようです(「槐記」巻六の金森宗和の八角の蓋の挿話など)。
 このところ、小野お通近衛信尹、寺田無禅とたどってきましたが、安土桃山から江戸にかけての時代に、何か新しい文字絵の資料の発見の手がかりがあるのではないかと思っています。

追記 : 近衛前久、信尹、家熙など、近衛家代々の書画は、今、東京国立博物館の陽明文庫創立70周年記念特別展「宮廷のみやび—近衞家1000年の名宝」で展示されています。

012708

 最後に、お知らせです。今日はモーツァルトの誕生日、そして1月31日はシューベルトの誕生日。31日にはシューベルトの新作のリアル文字絵をアップいたしますので、どうぞお楽しみに。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年1月21日 (月)

「歴史のミステリー」: 変わりゆきすぎる   歴史認識 

聖徳太子は本当に存在したのか?
・ジャンヌ・ダルクは本当に存在したのか?

 例えば上のように聞かれたら、あなたなら何と答えますか? 学校の歴史で教わったから、いたんじゃないのというのが大方のご意見でしょう。しかし、実はそういう人はいなかったんだよ、という信じられないような説をいろいろと紹介しようとするのが、1月15日に100冊シリーズで発行が開始された「週間 歴史のミステリー」です(デアゴスティーニ・ジャパン刊)。
 ……と、ほとんど出版物の宣伝のような文章になってしまいましたが、う〜ん、やはりこういうものが出たか、というのが正直な感想です。何年か前にWebを検索していて、聖徳太子はいなかったという説があることを知り、子供の頃に、教科書に十七条の憲法とか、冠位十二階とか書いてあったんだからそんなことはないだろうと思いました。 
 ですが、いなかったという説を真正面から検証してみようという出版物が刊行されるのは初めてではないようですから、虚構説にも根拠があるのでしょう。

 ここで、ちょっと視点を変えて、もうすこし小さな驚きを「週間 歴史のミステリー」No.1の創刊号から拾ってみましょう(書き換えられる年表・覆えされる数々の事象・否定される偉人たちの肖像画, etc より)。

・大化の改新は本当に行われたのか?
・日本最古の貨幣は708年の和同開珎ではなく、683年の富本銭(これは比較的よく知られているのではないでしょうか)。
・鎌倉幕府の成立は1192年(イイクニつくろう鎌倉幕府)ではなく、1185年とする教科書が増えている。
・源頼朝、足利尊氏、武田信玄として知られていた肖像画が、いまではすべて別な人物を描いたのではないかと考えられている。

Wiki

源頼朝ではなく、足利直義 ?

・古代四大文明より古い文明があった → 古代アンデスや長江(揚子江)流域の文明。
・新大陸は1492年にコロンブスにより発見されたというのは誤り。(せっかく、「東洋(14)の国(92)と思ったコロンブス」と覚えたのに!!)
・清教徒革命は1642年(一路世に出る清教徒)ではない!! (現時点ではいつなのかについての定説がなく、教科書によって記述はばらばらとのこと)
・電球の発明者はエジソンではなかった。エジソンは権利を買っただけ。エジソンと信じているのはアメリカ人と日本人だけとも言われている。

 まだまだありますが、最後にもう1つ。すでにテレビで何度も取り上げられ、もうかなり知られているとは思いますが、

・アポロ11号月面着陸は捏造だったのか!?

 要するに、従来事実とされていた事柄が否定されたり、あるいはかなり疑問視されているということです。身もふたもない言い方をすれば、学校や書物やマスコミから(うそとは言わないまでも)結果的に「虚偽」の情報を教えられてきたわけです。
 今日までわからなかったと言われればそれまでなのですが、そうすると「社会科の教科書には正しくない情報もかなり混じっている」というように、認識を改めなければならないことになりそうです。
 しかし、教科書で勉強しようとしている子供に、「その教科書は将来、誤りとわかるかもしれない内容を含んでいるから、あんまり信じすぎないようにね」とは言いにくいですよね。う〜ん、難しいところです。

 ところで、「週間 歴史のミステリー」創刊号の「歴史検証ファイル」に、

・本能寺の変の首謀者は誰だったのか? という記事があります。

 ここに、この前の文字絵のトリビア(2)に出てきた近衛信尹の父、近衛前久(さきひさ)がカギを握る重要人物の1人として登場してきます。近衛信尹は織田信長をずいぶん慕っていたようなので、後年にこの親子が仲違いをしたらしいのには、本能寺の変が係わっているのかもしれません。
 このことについて、機会があったら、また考えてみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 7日 (月)

文字絵のトリビア(2): 近衛信尹と小野お通の「人丸」→ 図柄は同じ

 

近衛信尹(このえのぶただ、1565-1614)は寛永の三筆の1人で、京の大文字焼きの「大」の字の元を書いたという説もある能筆(書道の大家)です。小野お通(1567-1631)は今はあまり知られていないようですが、信尹と同時代の人で、やはり能筆の誉れが高かったとのことです。二人とも、安土桃山から江戸初期にかけての一流の文化人でした。この2人は年齢が2歳しか違わず、織田信長の庇護を受けて育った点が共通しています。

 信尹の父親の前久は信長に引き立てられました。父の不遇時代に信尹はまだ幼く、地方で武士の子供と親しく交わって過ごしました。そのため、公家の筆頭の家柄にもかかわらず、生涯武 家に親近感を抱いていたとのことです。元服の日に烏帽子親になった信長とは、最後まで父子同然の親密な関係にあったようです(「三藐院 近衛信尹」p.12)。

 一方、信長に随身していたお通の父の小野正秀は永禄10年(1567)に六條河原の合戦で戦死しました。その時お通は生まれたばかりで、不憫に思った信長が母子を側近において養ったのであろうと推測されるとのことです。お通は信長の庇護下で九条稙通など当時最高級の文化人の教えを受ける機会を十分に得たようです(「小野お通」p.14)。

 実は、この二人の書いた「人丸」の文字絵が残っているのですが、その図柄が同じなのです!!! ということは、近衛信尹と小野お通の間に、何らかの交流があったのではないでしょうか?

 ちなみに、この文章を書くに当たって「三藐院 近衛信尹」と「小野お通」という本を参照しています(三藐院は、さんみゃくいんと読みます)。「人丸」の文字絵の写真がそれぞれの本に掲載されているので、絵柄が同じであることがわかったわけです。

 「三藐院 近衛信尹」にはお通への言及はないようですが、「小野お通」には近衛信尹(号は三藐院)への言及があります。それによると、「能書をもって知られるお通が、三藐院の書をもっているのは自然であろう」とのことです(「小野お通」p.30)。

 さて、それでは、お通の文字絵「人丸」像を模写して、下に示します(絵柄の上には「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」という賛が書いてありますが、それは略しました)。

010708


 

 「人丸」とは、歌の聖(古今集仮名序)と仰がれている柿本人麻呂のことです。出自に謎の多い万葉集の歌人ですが、長くなったので、また、稿を改めます。では、今日はこの辺で。

文献
・『三藐院近衛信尹 残された手紙から』、前田多美子著、思文閣出版、2006年
・『小野お通』、真田淑子著、株式会社風景社、平成二年

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 5日 (土)

のだめカンタービレinヨーロッパ 第二夜

 マングース君のいる変態の森は、どんなところなのか?

 その詳細は、将来制作されるかもしれない「のだめカンタービレinヨーロッパ Part II」に期待しましょう!!! 今回も「のだめ」を大いに楽しみました!! 

   「まんまるの美しい形の音の粒...」(ターニャ)、そんな音楽を聴いてみたいですね。皆さんの今年の音楽運がすばらしいものとなることをお祈りします。では、また。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 4日 (金)

のだめカンタービレinヨーロッパ 第一夜

  「終わった...。すべて楽しかった。」
  「千秋真一君、優勝おめでとう!!」

 ということで真一が優勝して、明日へ...。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

のだめカンタービレinヨーロッパ

 いよいよ今日と明日、二夜連続ドラマスペシャルのだめカンタービレinヨーロッパが放送されます。さっき、 「パリだ!プラハだ!!ぎゃぼー!!! のだめカンタービレ in ヨーロッパ特報!」をフジテレビで見ました。

 プラハのスメタナホールやパリ・コンセルヴァトワールなど、ふつうは撮影に使用できない場所でロケできたそうです。昨日のNHKニューイヤー・オペラコンサート東フィルを指揮されていた飯森範親 さんが千秋真一役の玉木宏さんに指揮を指導していました。撮影は天候が不順でたいへんだったようですが、フランク(ウエンツ瑛士)やターニャ(ベッキー)の新キャラにコスプレのエキストラも加わって、これは見逃せませんよっ!!!

 放送時間   1月4日(金) 21: 03〜23:22

                   1月5日(土) 21: 03〜23:30

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 3日 (木)

東フィルニューイヤーコンサート2008のプログラムの文字絵 Part II

昨日に引き続き、東京フィルハーモニー交響楽団ニューイヤーコンサート2008のプログラムに掲載された文字絵をご紹介します。まずは、今年が没後30年のハチャトゥリアンです。ハチャトゥリアンといえば「剣の舞」を思い出しますが、協奏曲もよいですね。

010308



次は、チャルダッシュで有名なモンティ。洋の東西を問わず昔はひげの立派な人が多かったようですね。この方は、ひげがあると愛嬌のある顔ですが、ひげがない顔は逆に少しいかつい感じがするようです。

010308_2

最後は、ツィゴイネルワイゼンのサラサーテ。サラサーテは今年の9月20日で没後100年です。

010308_3




プログラムには他にベートーベン(トップ頁右上の図柄です)、ファリァとラヴェル(ハガキ制作ずみ。図柄はこちらの民族のハーモニー◎得25人パックの台紙をごらん下さい)を載せていただきました。

東フィル様、どうもありがとうございました。今、「NHKニューイヤー・オペラコンサート」で演奏中ですね。最後を少し聴けそうなので、聴いてきます。

今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのテーマは「シューベルトとウィーン」です。それにちなんで、1月31日のシューベルトの誕生日に新作のシューベルトをブログにアップいたします。どうぞ、またお越しください。では、また。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年1月 2日 (水)

東フィルニューイヤーコンサート2008のプログラムの文字絵 Part I

渋谷Bunkamuraオーチャードホールでの東京フィルハーモニー交響楽団ニューイヤーコンサート2008のプログラムに載せていただいた作曲家文字絵のうち、今日はワーグナー、プッチーニ、ウェーバーをご紹介いたします。

東京フィルハーモニー交響楽団ニューイヤーコンサート2008
 —どこかで出会った、あのメロディ—

1/2(水)・1/3(木)15:00
Bunkamuraオーチャードホール

指揮:金 聖響
ヴァイオリン:古澤 巌
ナビゲーター:朝岡 聡

まず、ワーグナーです。文字の色と線の色が対応しています。

2010208_2


次に、プッチーニ。今年、生誕150周年です(12月22日生まれ)。

Puccini010208_2



3人目は、ウェーバーです。

010208



 

明日は、、ハチャトゥリアン、モンティ、サラサーテをアップする予定です。どうぞ、またお越しください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 1日 (火)

2008鷲宮 お正月限定 らき☆すたのクッキー

 出雲族の草創に係る関東最古の大社、鷲宮神社に初詣に行ってきました。国の重要無形民族文化財に指定されている「土師一流催馬楽神楽」の第六座八洲起源浮橋事之段 (やしまきげんうきはしわざのまい)を運良く拝観できました。この演目は、「国生み」の神話を題材にしたものだそうで、子孫繁栄あるいは開運を祈る演目とも伝えられているそうです。

 「らき☆すた」のクッキーを買ってきました。

Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東急ジルベスターコンサート2007-2008

「アッピア街道の松」の終わり方にブラボー!!
 テレビ東京をつけたら、カウントダウン曲のローマの松の「アッピア街道の松」がちょうど始まるところでした。指揮者の尾高忠明さんは、実にぴったりに1月1日にあわせて曲を終わらせました。演奏もよかったし、お見事!!  盛り上がりました。
 東急ジルベスターコンサートは今年で13回めとのこと。オケは東京フィルハーモニー交響楽団でした。聴くのは初めてだったのですが、楽しかったです。曲目は、新年の1曲めから、

雷鳴と稲妻(ヨハンシュトラウスII世)
・マリア(バーンスタイン「ウェストサイドストーリー」から)
・チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番第3楽章(ピアノ: 仲道郁代)
・クライスラー 愛の喜び(バイオリン: 千住真理子、ピアノ: 仲道郁代)
美しく青きドナウ

 尾高氏によると、年が明けてから世界で最初に「美しく青きドナウ」が演奏されるのはBunkamuraオーチャードホールとのこと。千住さんと仲道さんの共演は初めてだそうです。バイオリンやピアノが弾きやすいドレスについてのお二人の談義は興味深かったです。チャイコフスキーのピアノ協奏曲がボストンで初演されたとは知りませんでした。

 新年早々、けっこうな番組を拝見しました。東フィルのみなさんもネズミの帽子をかぶった方がいたりして、のっていたようです。では、1月2日・3日のニューイヤーコンサートもがんばってください!!

 皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月30日 (日)

お知らせ: 東フィルのニューイヤーコンサート2008のプログラムで文字絵が紹介されます

来年、1月2日・3日の渋谷Bunkamuraオーチャードホールでの東京フィルハーモニー交響楽団ニューイヤーコンサート2008のプログラムに、ワーグナー、プッチーニ、ウェーバーなど、9人の作曲家文字絵を載せていただくことになりました。

東京フィルハーモニー交響楽団ニューイヤーコンサート2008
 —どこかで出会った、あのメロディ—

1/2(水)・1/3(木)15:00
Bunkamuraオーチャードホール

指揮:金 聖響
ヴァイオリン:古澤 巌
ナビゲーター:朝岡 聡

ワーグナー
歌劇「ローエングリン」“第3幕への前奏曲”
プッチーニ
歌劇「トゥーランドット」“誰も寝てはならぬ”
ウェーバー
舞踏への勧誘
ハチャトゥリアン
組曲「ガイーヌ」“剣の舞”
ファリャ
組曲「恋は魔術師」“火祭りの踊り”
外山雄三
管弦楽のためのラプソディ
モンティ
チャルダッシュ
サラサーテ
ツィゴイネルワイゼン
ラヴェル
ボレロ

指揮者の金聖響さんは12月の中旬に腰痛で体調を崩されたとのことですが、オフィシャルブログによると完治されたとのことですので、予定どおり指揮台にさっそうと登場されることと思います。

楽曲解説は山尾好奇堂の山尾敦史さんの手になるもので、新春にふさわしく、華やかなトピックに満ちたものとなっています(ベニスのゴンドラに身をまかせて、たゆたう気分…)。

今回のプログラムに掲載される文字絵は、ワーグナー、プッチーニ、ウェーバー、ハチャトゥリアン、ファリャ、モンティ、ベートーベン、サラサーテ、ラヴェルです(ファリャ、ベートーベン、ラヴェル以外は新作あるいは未発表)。

文字絵研究所では、1月2日・3日のニューイヤーコンサートにあわせて、新作/未発表の作曲家文字絵を3点ずつこのブログにアップする予定です。どうぞ、1月2日・3日の「10億人が楽しめる手描き文字絵」にご注目ください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年12月24日 (月)

文字絵のトリビア(1): 夢二の「へへののもへろ」

「博士かな昔へへののもへ哉」

 これは、100年前の明治40年(1907年)に竹久夢二が平民新聞に発表した俳句とのことです(『夢二句集』p.62、p.329)。
 この句の「へへののもへ」を読んで、おやっ? と思いました。まず、『へへののもへじ百面相』で紹介されている「へのへのもへ」は知っていましたが、「へへののもへ」は初めて知りました。それは置いておいても、(イ)なぜ「へのへのもへ」ではなく「へへののもへ」なのだろうか、(ロ)なぜ「へへののもへ」ではないのかなと首をひねりました。以下で、どうしてそういう疑問をもったのかをご説明しましょう。
 夢二は2年後の明治42年に初の著書『夢二画集 春の巻』(初版)を出版しています。そこには、

「故郷(ふるさと)に帰ればへへののもへかな」

という句が出てきます。この句の存在を知った時に初めて、なぜ「へのへの」でなく「へへのの」なのかという疑問を抱きました。というのは、『へへののもへじ百面相』という本で、七文字によるこの種の顔の戯画は、江戸文化型(東日本の基本型)の「へへののもへ」と 京文化型(西日本の基本型)の「へのへのもへ」に2大別できる、ということを読んだことがあったからです。これからすると、夢二は岡山県出身なので、「へのへの文化圏(京文化型)」に属するはずです。だから、「へへののもへ」の部分に違和感を感じたのでした。
 さらに調べていたら、文頭に掲げた『夢二句集』に「博士かな昔へへののもへ哉」という句があるのを昨日知りました。それで、明治40年に「もへ」で明治42年に「もへ」……? なぜ変えたんだろう、と(ロ)の疑問を抱くことになったわけです。
 この2つの疑問に対する答えは今のところわかりません。憶測ではありますが、(イ)に関しては、(特に最初の本である『夢二画集 春の巻』を出す際の「へへののもへ」に関しては)東京で受けるように慎重を期して「へへのの」という関東で一般的な表現をえらんだということではないでしょうか。
 もし上の(イ)に関する憶測が正しいとすれば、(ロ)の「へへののもへ」は夢二が臨時に作った言葉である可能性があるかもしれません。そう考えられないこともないような気がするのは、夢二郷土美術館ブログでも紹介されている

茂次郎橋 由来
 花のお江戸ぢゃ 夢二と呼ばれ
 郷里へかへれば へのへの茂次郎
              夢二つくる
              芳水しるす

という夢二の残した戯れ歌が残っているからです(茂次郎[もじろう]は夢二の本名です)。ここでは「へへのの」ではなく「へのへの」になっています。そしてここの「へのへの」は「へのへの文化圏(京文化型)」に属する岡山の地にしっくりなじむようです。その証拠に、夢二が暮していた当時はなく、後世になって架けられたという茂次郎橋の柱にはしっかり「へのへのもへ」と刻まれているように見受けられます。つまり、橋を架けたこの土地の方々にとって七字の戯画の普通の呼び方は「へのへのもへ」ではないかと推測されるわけです。

         ……  ……  ……  ……  ……  ……  ……  

 これから、「文字絵のトリビア」と題して、文字絵について気がついたこと、わかったことを筆のおもむくままに書いてみたいと思います。なるべくどこにも発表されていないような目新しいことを掘り起こしますので、どうぞお楽しみに。

         ……  ……  ……  ……  ……  ……  ……  

 今日はクリスマスイブです。夢二には「クリスマスの贈物」という童話があるのを最近知りました。この物語の主人公のみっちゃんはいくらたくさん贈物があっても喜ばせることができない子のようですが、こもへじは違います! 最近、ささやかなことに幸せを感じるようになったような気がします。願わくば来年の今日まで「文字絵のトリビア」のネタが尽きませんように!! サンタさん、こもへじにネタと気力と愛の手を…。(それと、できましたら仕事を少々…。)
では、では、皆様、おやすみなさい。

文献
・『へへののもへじ百面相』、田村市太郎著、自由現代社、昭和五十八年
・『夢二句集』、木暮享編、筑摩書房、平成六年
・『へのへの夢二』、久世光彦著、筑摩書房、二○○四年 (p.58、p.228)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 1日 (土)

お知らせ:ヤマハ銀座店様と山野楽器銀座本店様に納品してきました

 いよいよ師走になりました。数日前から聴こえていたジングルベルのメロディーも何となく違和感がなくなった感じですね。

 さわやかに晴れた今日、先日紹介した肖像シールと文字絵シールをヤマハ銀座店様(2F)に、そして、シールに加えて国民楽派のバッグ(ブラックL)山野楽器銀座本店様(3F)に納品してまいりました。このバッグは5月のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでルネ・マルタン氏に謹呈いたしましたが、この9月から山野楽器様においていただいております。売り場の方にお聞きした話では、9月に納品した5個がすでに売り切れて、今日は何と2人の方から、あのバッグはないんですかと尋ねられたとのことでした。今日バッグを買いに来ていただいた方にお詫び申し上げます。速やかに追加納品せず、たいへん失礼いたしました。

 ということで、上記の品々はクリスマスシーズンや年末・年始のちょっとしたプレゼントやご贈答品に最適かと思いますので、銀座に出かけの際は、どうぞお手に取ってご覧下さい。

 上記の文字絵グッズの写真はすでにご紹介ずみですので、今日はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで販売したもう1種類の古典派中心のMサイズのバッグのデザインをご紹介します(こちらは音楽祭の期間中に売り切れてしまい、残念ながら手元に在庫が残っておりません)。文字絵研究所では、これからも新しいデザインのバッグを制作したいと思いますので、どうぞ、ご期待ください。

120107

| |