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2005年9月12日 (月)

巌本真理弦楽四重奏団の「大公」{RETROSPECTIVE COMMOHEDGE 8}

 新日鉄コンサートの公開録音に応募して巌本真理弦楽四重奏団の演奏会を聴いたのは、1975年ごろのことだったと思う(他のメンバーは、友田啓明(Vn)、菅沼準二(Va)、黒沼俊夫(Cello))。場所は、世田谷の三軒茶屋あたりで、そのころはまだ都電が走っていたような気がする。(新日鉄コンサートは今年の3月で幕を閉じてしまった。残念 ! )
 当時私はクラシックを聴き始めてから間もなく、巌本真理弦楽四重奏団の何たるかを知らず、ベートーベンのピアノ三重奏曲「大公」が生で聴けると喜んで、いそいそと演奏会場に出かけていった。その少し前にFMでエア・チェック(今では、死語 ! )したこの曲をカセットデッキで繰り返して聴いて、とても気に入っていたのだった。
 他に演目はモーツァルトのフルート四重奏曲で、それも確か2曲演奏されたような気がする(フルートは大家の吉田雅夫さん)。
 巌本真理は1979年に亡くなったから、今思うと、彼女の弦楽四重奏団の演奏が生で聴けたことは、何と運がよかったことか !  (彼女はきのう図書館で読んだ「斎藤秀雄」の弟子だった。師が亡くなってから5年後に急逝したことになる)。
 チェロの黒沼俊夫さんが姉御肌だった巌本真理に何か繕い物をしてもらったというようなことを、何年か後に追悼番組で話していたのが、なぜか印象に残っている。
 室内楽の演奏にこのとき初めて接したのだったかもしれない。演奏は熱演だった。奏者たちの息づかいまで聞こえてきた(特に、巌本真理さんの......)。音楽とはこういうものなのかと思った。私にとって、「大公」はいつまでも巌本真理弦楽四重奏団とともにある。(でも、これって、弦楽四重奏曲ではないですね。それにピアノは誰だったんだろうか?  それと、弦楽四重奏曲は演奏されなかったのだろうか?)
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コメント

ラ・フォル・ジュルネの記事で、いろいろコメント有り難うございました。「やくぺん先生」こと、渡辺和です。
「黒沼俊夫と日本の弦楽四重奏団」なる書籍で評伝及び演奏データのパートを執筆させていただいた者として、情報を提供させていただきます。
真理さんのトリオのピアニストですが、もうこれはほぼ確実に坪田昭三さんでしょう。これ以上詳細なデータはここに書くのもなんですので、小生のブログに記します。よろしければご覧下さい。

投稿: 渡辺和 | 2005年10月14日 (金) 11時29分

渡辺さま、コメントとトラックバックをありがとうございました。

坪田昭三さんという名前は聞き覚えがあります。ピアニストはその方だったと思います。

新日鐵の財団にデータが残っていないのは、残念です。ペラのプログラムか何かをもらったかもしれませんが、30年前の話では、もう出てくるよしもなしというところでしょうか。

投稿: こもへじ | 2005年10月14日 (金) 15時04分

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» マリカル5人目のメンバーのこと [やくぺん先生うわの空]
二日酔いで仕事が出来る頭にならず、ネット上で他人様の作文などを拝見していて、発見した記事。http://mojieken.cocolog-wbs.com/ld/2005/09/retrospective_c.html 以前、コメントいただいた方で、そちらのブログにもコメントさせていただいたのだけど、なにせよそ様のお庭でお店を広げてしまうわけにも行かぬので、コメントの実質的な内容をこちらに書かせていただきます。 「1975年頃、新日鐵コンサートで、巌本真理弦楽四重奏団の演奏会があり、「大公」... [続きを読む]

受信: 2005年10月14日 (金) 11時57分

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