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2005年10月 9日 (日)

バッハのマタイ受難曲を歌わなかったことの解釈

 思うに、結果として歌わなかったということは、それだけ強く歌いたいという気持ちがなかったということなのかもしれない。
 あるいは、他にもっと興味を引かれる対象があったということかもしれない(そんなものがあったのかどうか、あったとすればそれは何だったのか?  我が事ながら、そのときどきの詳しい事情は、月日の経過とともにおぼろになってくる)。
 いずれにせよ、たぶん複数の因子の相互作用の結果として私は歌わなかった。それが生きられなかった自分史のささやかな一部ということになるのだろう(う〜ん、我ながら、たいしたことではないことを、ここまでこねくりまわして複雑に小難しく考える癖は相変わらずだなあ)。
 さて、機会があったら、またいつか、心して「マタイ受難曲」を聴きに行こう! 幸いなことに、バッハ先生は、文字絵を通じて、昔より確かに私の身近にいる。

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コメント

私も、以前宗教曲を中心に10数年間合唱をやっていて、結局、バッハの「ロ短調ミサ」を歌わなかったことが心残りとなっています。

確かに歌わなかったことも自分史の一部になるわけですが、「ロ短調ミサ」とは別の形で(CD・DVDを楽譜を見ながら聴くなど)、付き合っていきたいと思っています。もちろん、文字絵を通しても。


投稿: ファイト | 2005年10月12日 (水) 09時30分

そういえば、ロ短調ミサも歌わなかったな......。他にもあるかもしれませんね。

それにしても、今はコンサートばかりでなく、CD・DVD、iPod と、昔に比べていろいろなメデイアがありますね。あまり型にこだわらずに楽しみましょうか。

投稿: こもへじ | 2005年10月12日 (水) 10時41分

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