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2005年11月27日 (日)

オネゲル没後50年

 アルチュール・オネゲルというと、交響的運動「パシフィック231」が最も有名だと思います。今日は、そのオネゲルの命日です。50年前の今日、亡くなりました。彼は今頃、天国で機関車が走るのを眺めているのでしょうか?  (といっても、「わたしは作曲家である」(音楽之友社,1970年)という本のなかで、機関車の発車と全速力での前進を描写するという意図はなかったと彼自身は発言していますが...)
 だいたいにおいて、オネゲルの作品は重苦しい感じの曲が多いと思います。3楽章からなる弦楽のための交響曲第2番もまさしくそうで、第二次世界大戦でドイツの侵攻を受けているさなかに作曲されたため、暗く始まります。しかし、3楽章めの最後で、独奏トランペットが登場し、とても輝かしく終わります。お勧めの曲です。(オネゲルさん、この曲、私はとても好きですよ。21世紀になっても、あなたの曲が忘れられるというようなことにはなっていません。どうぞ、ご安心ください!)

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2005年11月18日 (金)

「ラ・フォル・ジュルネ」は「フィガロ」から

 ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)というのは、モーツァルトと縁が深いそうです。「熱狂の日」音楽祭のアーティスティック・ディレクターのルネ・マルタン氏から、「熱狂の日」フレンズの皆様へ 、ということで届いた今日付けのメールマガジンを友人が転送してくれました。下にその部分を引用します。

 実はこの音楽祭のタイトル「熱狂の日(ラ・フォル・ジュルネ)」自体が モーツァルトととても縁が深いのです。 「熱狂の日」というタイトルは、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の 元になったボーマルシェの演劇作品の副題にインスピレーションを受けたもの なのです。 そのタイトルは、「熱狂の日(ラ・フォル・ジュルネ)、あるいはフィガロの結婚」。 この戯曲は1784年に発表されたのですが、まさに当時の価値観を覆す革命的な もので、フランス革命の契機になったとも言われています。(引用終わり)

 マルタン氏はまた、「クラシック音楽を一部のエリートのためだけの狭い枠から解き 放ち民主化するという、この音楽祭の目的」とも書いておられます。
 ところで、来年も今年以上に盛大な音楽祭になりそうです。再び引用します。

 参加アーティストはヨーロッパから600人、日本とアジア(韓国・中国・ フィリピン)から1,200人、コンサート数は135を予定しています。 そのうち60%程度がモーツァルトの作品、残りはモーツァルトの人生に深く 関わった作曲家の作品を選定する予定です。 (引用終わり)

 楽しみですね。ところで、このメールマガジンは、東京国際フォーラムのサイトから「熱狂の日」フレンズに登録すると配信されます。私もさっそく、登録します。では、また。

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2005年11月 8日 (火)

サイドバーのレイアウトを変更しました

 昨日に引き続きサイドバーのレイアウトを変更し、☆☆作曲家ギャラリー☆☆ の本館とANNEXを設けました。本館の最後に、さりげなく自分を入れちゃいました ^_^;) 。そのうち、絵描き歌の作曲家としてデビューしようかな...。

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2005年11月 7日 (月)

☆☆作曲家ギャラリー☆☆

 右のサイドバーの下のほうに、☆☆作曲家ギャラリー☆☆の展示を始めました。今日は手始めにウィーン古典派の3人(モーツァルトは2枚)の文字絵を並べました。

 でも、ココログのわかりにくさといったらないですね。誰がこんなデザインをしたんだろう。もっとすっきりまとめられなかったんだろうか? これだけサイドバーに並べるのに、えらく苦労してしまいました。 コメントをどうぞ

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2005年11月 4日 (金)

アルプとへのへのもへじ

 (文体が変わっちゃってますが、一応昨日の続きです ;^_^ )
 思うに、芸術は(というよりも、人間に関わってくることがらは)すべからく意味をめぐる冒険ではないだろうか(およそ人が関わるかぎりあらゆるのものごとは記号化(意味化)する、と考える記号論という学問も、人は意味を求める動物であるという大前提に支えられているのだろう)。
 ハンス・アルプの作品のあるものには、そのような、意味を求める人間の傾向というものがはっきりと現われている。それが最もよくわかるのは、例えば「葉-トルソ」、「鏡-葉」、「貝殻-帽子」、「森-帽子」というように、タイトルがハイフンで区切られた、二通りに見える彫刻作品群である。彼は多義性を許容する。というより、多義性を楽しんでいるのだろう。昨日は、そういう意味でダブルミーニングという言葉を使った。
 学芸員氏の話によると、アルプは作品を作り始める時に何を作るかを決めておらず、形がだんだん何かに見えてきたらその方向で作品のタイトルを決めたのだそうだ。アルプのように多義性を楽しむというのは私も好きだし、多義性こそ美術を含めた芸術一般の醍醐味なのであろう。しかし、現代美術にせよ、現代文学にせよ、「現代」と名のつくものには、どういう意味を感じるかは最終的に鑑賞者や読み手の判断にお任せします、というパターンが多すぎはしないかという気もする(アルプの場合は、その彫刻が何である可能性があるかをハイフンの前後に明示しているという点で、好感がもてる)。
 私どうやら、これはこれこれこういう意味です、と言い切ってもらいたいらしい。つまり、手の内を(もしそれがあるのであれば)明かして、すべてを見せてほしい(子供が手品の種を知りたがるようなものか...。あいまいさを許容できるほど精神が強靭でないのだろう)。いろいろあったけれど、今では、多義性はとりあえずは十分だ、脇においておきたい、と感じている。
 あいまいなのは、おもしろいけれど、つかれる。多義的ではないもの、シンプルなもの、見た通りのものに惹かれる。その代表が、私にとっては、「へのへのもへじ」や「ヘマムショ入道」なのだ。息子を騙る詐欺師が横行する世の中にあっては、もし吹き出しがあれば、「見た通りの者です」とでも言っていそうな彼らが、とてもけなげに思えてしまう。
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2005年11月 3日 (木)

館林美術館のハンス・アルプ展に行ってきました。

 群馬県立館林美術館のハンス・アルプ展に行ってきました。道が混んでいなければうちから車で40〜50分で館林美術館に着きます。行ったのはこれで2回めです。祝日なので、どこかへ連れて行って欲しいと言われ、それなら美術館にでも行こうかと思い、館林美術館のホームページを覗いてみたらハンス・アルプ展をやっていることがわかったわけです。それで、昼少し前に一家で出かけました。
  アルプ展と言えば、いつかどこかでだいぶ前に見た記憶がありました。それは1986年の4月5日から1カ月にわたって埼玉県立近代美術館で開催された、生誕100年記念アルプ展」だったことがわかりました。今日は文化の日で、学芸員による作品解説会の日だったので、いろいろとおもしろい話を聞くことができました。そのなかに、20年前に各地でアルプ展が開かれたという説明がありました。その時の作品も半分くらいは来ているとのことでした。
 アルプの作品は、今回、8つの部に分けて展示されていましたが、その中では、
4. 芸術形式としての書く行為
——白と黒、それはエクリチュール
5. アルプのオブジェ言語
——パード百科事典
6. メタモルフォーゼという考えの重要性について
——葉はトルソに変身する。トルソは花瓶に変身する
あたりに興味をもちました。アルプの作品は、ダブルミーニングという観点から見るとおもしろいのではないかと思いました。(続く)
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