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2008年4月23日 (水)

プロコフィエフの誕生日にちょっとしたお知らせを・・・

 プロコフィエフは1891年4月23日に生まれました。4月23日に生まれの有名人ではシェークスピアが有名ですが、そう言えばプロコフィエフは「ロミオとジュリエット」というバレエ音楽を書いていますね。ちなみに私はプロコフィエフもシェークスピアも好きです。

 交響曲第5〜7番あたりは傑作だと思います。あまり有名な曲ではないかも知れませんが、ピアノ協奏曲第1番もいい曲ですよ。きょうはそのプロコフィエフの文字絵をアップします。

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 さて、ここでお知らせです。まず、今年は文字絵研究所はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに出展しないことになりました。しかし、ラ・フォル・ジュルネ向けに企画していたグッズの一部を当初の予定どおり制作することにいたしました。

 昨年の「民族のハーモニー」では、文字絵で描いた25人の作曲家の似顔絵をポストカードに仕立てた「◎得25人パック」がご好評をいただきましたが、今回はその第2弾の「ロマン派25人◎得パック」を作りました。前回の25枚よりさらにグレードアップしたと自負しております。どこが? というご質問にあらかじめお答えしておきますと、切手を貼るポスト面に、作曲家の似顔絵の元になった肖像画や肖像写真を小さく入れた点です。

 実は、上のプロコフィエフも今回のポストカード化を想定して描いたのですが、ロマン派というには少し疑問があるので、ひとまずロマン派の25人からはずしました。また別の機会にポストカードにしたいと思っております。

 それと、ショパンのバッグ。このバッグは今日できました。新作のこれらのポストカードやバッグの他に、作曲家をイメージしたアロマキャンドルなども含めて、文字絵グッズの通信販売のサイトを現在準備中です。このサイトについては近いうちに改めてご紹介させていただきます。では、どうぞお楽しみに!

 

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2008年4月 1日 (火)

文字絵のトリビア(6) : 北澤楽天の丙野茂平次 → 「もへじ」は茂平次か茂平治か?

 今日は上野に出る用事があって、それをすませてから不忍池にまわってみると桜が満開でした。池の端では骨董市をやっており、そこで文字絵の資料を2冊見つけました。まずは、これをご覧ください。

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「日本の近代漫画の祖」と言われている北澤楽天の「樂天全集第7巻 ブルプロ漫画集」(昭和五年十二月十五日アトリエ社発行)の81頁です。この漫画で注目したい点は2つあり、1つは2コマめの「へのへのもへじ」で、もう1つは1コマめと2コマめの「茂平」という漢字表記です。
 まず、楽天の出身は埼玉県の現在のさいたま市、すなわち関東ですから、『へへののもへじ百面相』に従うと、「へのへのもへじ」ではなく東日本の基本型である「へへののもへじ」と言う地域のはずです。キャラクターの名前である「丙野」に引っ張られてここでは「へのへの」になったのでしょうか? 現時点では、どういうことなのかわかりません。
 次は、「…もへじ」の漢字表記が「茂平」となっている点です。今まで手にとったことのある資料で「…もへじ」は「茂平」という人名であるという趣旨の記述を読んだことがあります。
 今日入手した2冊めの資料をここで引用します。「日本こども遊び集」という特集が組まれた「太陽」1975年1月号(平凡社)の97〜99頁「文字絵・絵書き歌の世界」(徳川宗賢)からです。「もへの」「もへと」などの各地のいろいろな変種を考察している文章の一節で、

 (前略) 想像ではあるが、大人の手を離れてこどもの手に渡った後、もへじが茂平次という人名をなぞらえていることがはっきりしなくなってからの変形ではなかろうか。(後略)

 と述べられています。ここにも「もへじが茂平という人名をなぞらえている」と書かれています。ところが、今回の楽天の本の別の個所を見ると、同じ「丙野」氏を指しているのにもかかわらず、上の漫画での表記とは異なっている「茂平」という表記でがあちこちに数多く出て来ます。
 これは校正ミスでしょうか? そうかもしれませんが、「もへじ」の漢字表記が「茂平次」と決まっているわけではないようにも受け取れます。この点に関しては、歌川広重画の『狂字図句絵』の「へへののもへいじ」をなどを参照しつつ、いつかまた考えてみたいと思います。では、また。

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