ハイドン、メンデルスゾーン、レトリック
新年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、今年は初詣の後にベルリンフィルのジルヴェスターコンサート2008を、そしてついさっきウィーンフィルのニューイヤーコンサート2009をテレビで見ました。ジルヴェスターのほうではバリトンの トーマス・クヴァストホフに驚き、「ささやかな贈り物」は「アパラチアの春」のあのメロディーか、とか、動物の擬声語満載の「ねこを買ってきた」、とか、なかなか楽しめました。
ウィーンフィルのほうは「告別」第4楽章のバレンボイムの指揮ぶり、というよりサボタージュぶりとオケのメンバーの掛け合いがお祭り気分を盛り上げていました。ハイドンの曲をウィーンフィルのニューイヤーコンサートで演奏するのは初めてのことのようです。
今年はそのハイドンの没後200年、メンデルスゾーンの生誕200年、と今朝の読売新聞に出ていました。個別には意識していたもののハイドンとメンデルスゾーンを並べて考えることは少なかったので、そう指摘されるとけっこう新鮮でした。
で、これからが本題ですが、その記事の中で面白いと思ったのは、「最近はハイドンの音楽を当時の弁論術と比較・分析する試みが盛んになっている。音楽と弁論術は共に支配階級の教養であり、ハイドンの曲の構成や展開は弁論術と共通点がある」(音楽学者伊東信宏さん/大阪大準教授)という指摘でした。
考えてみれば(というよりも、ほとんど考えるまでもなく)、交響曲の第1主題と第2主題は弁論術の用語でいう「対比」(contrast)に当たるだろうし、4楽章構成だって、なんとなく「起承転結」(これは、西洋流レトリックとは異なる漢詩のレトリックなのだろうけれど...)に似ていなくもない。大いに研究していただいて、びっくりするような結論を引き出していただければと思います。
(話は脱線しますが、私こもへじは常々、文字絵を「最強のレトリック」としての観点から考えてみたいと思っております。だって、自分の名前の字で自分の似顔絵が人前で描けちゃったら相手に強烈なインパクトを与えると思いませんか?)
閑話休題。で、今年は弁論術を含むレトリックについて、たまに話題にしたいです。これは、年頭に当たっての抱負でした。新たな年の初めにあたり、皆様のご多幸をお祈りします。では、また。
← 左のメンデルスゾーンのイラスト(文字絵)をクリックしてみてください。つづり動画がご覧いただけます。
| 固定リンク
























































コメント