2006年11月 1日 (水)

ベートーベンの出発 (前編)

 読書週間なので、本を読んでいる。そのうちの1冊が『天才音楽家たちの友情記念帳』(2002年,伊東辰彦著, 講談社選書メチエ)だ。これは、ドイツで社交上の慣習として残された「友情記念帳」(シュタムブッフStammbuch)の記録に注目して大作曲家たちの素顔を探ろうという趣旨の本である。作曲家たちが書いた記帳の内容を読み解こうという試みだ。
 ウィーン古典派のころのドイツ語圏に「友情記念帳」の伝統があったという。実際、この伝統は16世紀半ばから20世紀半ばまで盛んだったそうだ。一般的にも注目されて来なかったとのことで、ドイツでも学問的対象とされ始めたのは1970年代くらいかららしい。とても刺激的な本だ。読めば読むほどCURIOUSER and curiouser! という感じである。(以下、明日に続く...)

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2006年9月13日 (水)

放浪と創造と『永遠の少年』

 放浪と創造と言えば、『永遠の少年』を思い出す。『永遠の少年』はユングの分析心理学でいう元型の1つであり、それをテーマとした翻訳書である(紀伊國屋書店、1982年、松代洋一他訳)。著者はユングの高弟(といっても女性)のマリー=ルイーゼ・フォン・フランツで、1970年の著作である。
 永遠の少年とは、「顕著な母親コンプレックスを抱いていて、そこから生ずる独特の行動様式を示す若者」をさす。この元型に同一化した人は、「ふつうよりも長く思春期の心理にとどまっている」(引用は『永遠の少年』から。以下、別途明記してある場合以外、「 」内は同様)。
 永遠の少年は現実から逃避し、真の体験をすることができない。「本来なら現実との適応によってなされるべきことを空想の世界で知的な観念として実現するのである。」彼らはあちこち放浪する。飛行や登山を好む。地面に足がついていない。年をとっても若者の魅力を備えている人もいるが、思春期にはもっていた魅力と個性を失う人もいる。いずれにせよ、永遠の少年という型にはまってしまう。
 ところで、放浪について書こうと思ったのは、『日本人への「放浪」の勧め』という茂木健一郎氏の文章を「読売ウイークリー」の9月24日号で読んだからである。戦後の日本人に創造性が欠けていると言われてきた原因は、個人と組織の関係があまりにも堅苦しくて、創造的になるのに必要な空白を経験する機会をもてなかったからではないかという。そこから放浪の効用が説かれている。
 戦後の日本人には創造性がなかったのかどうか、私にはわからない。工学では、建築では、文学では、科学では、物理では、天文学では、数学では、美術では、映画では、ファッションでは、技術では、造船では、脳科学では、医学では、看護学では、疫学では、統計学では、言語学では、経営学では、商学では、外交では、政治では、マンガでは、アニメでは……? どれ一つとってもまともに論ずるだけの知識も見識もないのでこの辺でやめる。どの国と比べて創造性がないかということもある。それに、そもそも創造性って何だろう? 分野によって違うのだろうか? 戦後の壊滅状態から世界第2位の経済大国になったという事実からして、戦後の日本人は創造性に欠けていたと考えるほうが現実離れしているような気がしないでもない。本当に創造性に欠けていてこれほどの成功を(少なくとも経済的に)収めてきたのだったら、むしろそれこそ驚きである。日本人には日本人の創造性がある、とかいう議論をどこかで目にしたことがあるような気もする。創造性がないのにこれだけの成功を収めたのだとしたら、そもそも創造性なんて必要ないという結論に達する可能性がないとも限らない(まさか……。いけない、いけない。話が脱線してしまった)。
 といったようなことを脇に置いたうえで、茂木健一郎氏の『日本人への「放浪」の勧め』を読み直すと、これは明らかに戦略的放浪の勧めである。功利的放浪の勧めと言ってもよい。ここでは放浪は手段となっている。ぼわ〜っと(というのは私の用語です^^;)放浪した経験が将来の創造の役に立つかもしれないので、イギリスのギャップイヤーのように空白の時期を過ごせる仕組みを設けてもよいのではないかという。
 文部科学省の中央教育審議会生涯学習分科会での報告によると、「イギリスでは、習慣として、大学入学資格を得た18〜25歳までの若者に、入学を1年遅らせて社会的な見聞を広めるための猶予期間が与えられる。
   ギャップイヤーを利用する若者の多くは、高校が終了する6月から大学が始まる翌年の10月までの16か月間のうち、まず5か月間はアルバイトで資金をつくり、5か月間はボランティア活動をし、残りの6か月間を世界旅行をしたり会社で職業体験をしたり等の期間にあてる。大学入学までの猶予期間をどのように使うかは若者次第であり、その選択肢のひとつがボランティア活動である。
   ギャップイヤーの利用者とっては、大学で何を専攻したいかの目的が明確になる等の効果があるとされている。ギャップイヤーをとった若者は、大学を中退する割合が少ない。イギリスでは、大学の途中退学者は20%程度いるが、ギャップイヤーを利用した若者に関しては3〜4%に途中退学者の数が減ると言われている」とのことである。
 こういう慣習があれば若い人には確かに魅力があるだろう。大手を振ってモラトリアムを満喫できる(というような表現にすぐ貧乏性が現れてしまいます^^;)。30年前の日本にこのような制度があれば喜んで利用したかもしれない。今、息子がギャップイヤーで外国へ行きたいと言い出したら、心配ではあるが喜んで国内でも国外でも送り出したい。創造のためか否かにかかわらず、訳のわからないうちに留年してしまうよりはよっぽどいい(我が身を振り返りつつ発言しております)。
 だが、制度的放浪にのれる若者は、たぶんもともとそれほど心配ないのだと思う。本来の放浪には、最初に居た所に戻ってくるという含意はない。つまり、さまよいっぱなしになる可能性が高いということである。この意味では茂木氏が「放浪」とかっこでくくったのは正しい。戦略的に放浪するというのは一種の形容矛盾である。もともと放浪は明るいイメージの言葉ではない。期限を限っての計画的な放浪は、そもそも放浪とは呼びにくい。
 日本のニートやフリーターの問題といってもさまざまな要因が絡んでいるのだろから一概に言えないと思うが、経済あるいはもっと端的には景気が良くなれば(面白い)仕事が増える、その結果、彼らの一部が社員として採用されるということで、問題がある程度改善するのかもしれない。しかし、もともとやる気のあった若者が順当に職を得た後に、残るであろう問題の1つが、たぶん『永遠の少年』の問題なのだ。
 マリー=ルイーゼ・フォン・フランツによると、永遠の少年は「職場に行って、単調な仕事を片づけたり、一人の女性に係わったりするのをいやがるが、それは人生の無限の可能性を心のなかで弄ぶばかりで、そのうちの一つに限定することができないからである。」彼女は母親コンプレックスを抱えた永遠の少年が「時代の問題」として騒がれるようになってきていると言った。何と1960年ごろに!! (『永遠の少年』は1959年から60年にかけての講義の速記録をもとに刊行された。)
 このような永遠の少年が今の日本に増えているとすれば(私は増えているように思うのだが)、ニートやフリーターの問題はなかなか解決しないかもしれない。このような若者たちこそ、身体的にせよ、精神的にせよ、放浪という名にふさわしい状況にあるように思う。そして、たぶん援助の手を差し伸べるべき対象なのかもしれない。
 永遠の少年への処方はずばり、仕事である。「うす暗い雨の朝、うんざりする仕事に無理矢理手をつけ」られるように、自我を十分強化することだ(それができれば苦労しないという声が聞こえてきそうだが)。
 こんなことも書いてあった。「もとより永遠の少年の問題は創造性と密接なつながりがある」。永遠の少年と創造性の問題は、サン・テグジュペリの『星の王子さま』を材料に詳しく追究されている。『永遠の少年』で最も興味深いのは、『星の王子さま』の分析の部分である。サン・テグジュペリがかなり低く評価されている。今ここでその議論をこと細かに紹介するつもりはないが、私は著者の言うことにかなり納得させられた。したがって、『星の王子さま』を高く評価している文章を読むと、本当にこの人はわかっているんだろうか、などと不遜にも思ってしまう(とは言っても、やはり『星の王子さま』が面白いことは確かなのだが…。個人的には飲んだくれとか点灯夫とかに親近感を抱いてしまう)。
 さて、手短にまとめると、(1)ギャップイヤー的慣習が日本にあってもいい、(2)でもそれでは救えない若者も日本にいるんじゃないだろうか、(3)ニート・フリーターの問題を考えるのには『永遠の少年』が役に立つかもしれない、ということである。
 おまけ: へルマン・ヘッセに『クヌルプ』という小説がある。高校か大学のころに読んだ。クヌルプは若いころの失恋がもとで、漂泊の人生を送ることになる。彼もまた、永遠の少年だったのだろうか?

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2005年11月 4日 (金)

アルプとへのへのもへじ

 (文体が変わっちゃってますが、一応昨日の続きです ;^_^ )
 思うに、芸術は(というよりも、人間に関わってくることがらは)すべからく意味をめぐる冒険ではないだろうか(およそ人が関わるかぎりあらゆるのものごとは記号化(意味化)する、と考える記号論という学問も、人は意味を求める動物であるという大前提に支えられているのだろう)。
 ハンス・アルプの作品のあるものには、そのような、意味を求める人間の傾向というものがはっきりと現われている。それが最もよくわかるのは、例えば「葉-トルソ」、「鏡-葉」、「貝殻-帽子」、「森-帽子」というように、タイトルがハイフンで区切られた、二通りに見える彫刻作品群である。彼は多義性を許容する。というより、多義性を楽しんでいるのだろう。昨日は、そういう意味でダブルミーニングという言葉を使った。
 学芸員氏の話によると、アルプは作品を作り始める時に何を作るかを決めておらず、形がだんだん何かに見えてきたらその方向で作品のタイトルを決めたのだそうだ。アルプのように多義性を楽しむというのは私も好きだし、多義性こそ美術を含めた芸術一般の醍醐味なのであろう。しかし、現代美術にせよ、現代文学にせよ、「現代」と名のつくものには、どういう意味を感じるかは最終的に鑑賞者や読み手の判断にお任せします、というパターンが多すぎはしないかという気もする(アルプの場合は、その彫刻が何である可能性があるかをハイフンの前後に明示しているという点で、好感がもてる)。
 私どうやら、これはこれこれこういう意味です、と言い切ってもらいたいらしい。つまり、手の内を(もしそれがあるのであれば)明かして、すべてを見せてほしい(子供が手品の種を知りたがるようなものか...。あいまいさを許容できるほど精神が強靭でないのだろう)。いろいろあったけれど、今では、多義性はとりあえずは十分だ、脇においておきたい、と感じている。
 あいまいなのは、おもしろいけれど、つかれる。多義的ではないもの、シンプルなもの、見た通りのものに惹かれる。その代表が、私にとっては、「へのへのもへじ」や「ヘマムショ入道」なのだ。息子を騙る詐欺師が横行する世の中にあっては、もし吹き出しがあれば、「見た通りの者です」とでも言っていそうな彼らが、とてもけなげに思えてしまう。
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2005年11月 3日 (木)

館林美術館のハンス・アルプ展に行ってきました。

 群馬県立館林美術館のハンス・アルプ展に行ってきました。道が混んでいなければうちから車で40〜50分で館林美術館に着きます。行ったのはこれで2回めです。祝日なので、どこかへ連れて行って欲しいと言われ、それなら美術館にでも行こうかと思い、館林美術館のホームページを覗いてみたらハンス・アルプ展をやっていることがわかったわけです。それで、昼少し前に一家で出かけました。
  アルプ展と言えば、いつかどこかでだいぶ前に見た記憶がありました。それは1986年の4月5日から1カ月にわたって埼玉県立近代美術館で開催された、生誕100年記念アルプ展」だったことがわかりました。今日は文化の日で、学芸員による作品解説会の日だったので、いろいろとおもしろい話を聞くことができました。そのなかに、20年前に各地でアルプ展が開かれたという説明がありました。その時の作品も半分くらいは来ているとのことでした。
 アルプの作品は、今回、8つの部に分けて展示されていましたが、その中では、
4. 芸術形式としての書く行為
——白と黒、それはエクリチュール
5. アルプのオブジェ言語
——パード百科事典
6. メタモルフォーゼという考えの重要性について
——葉はトルソに変身する。トルソは花瓶に変身する
あたりに興味をもちました。アルプの作品は、ダブルミーニングという観点から見るとおもしろいのではないかと思いました。(続く)
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2005年10月26日 (水)

トライアル・リアル Händel (正面顔)

 試みに、ヘンデルをリアル化してみました。  
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2005年10月22日 (土)

第15回ショパンコンクール終わる

 1927年に第1回が開催され、第5回(1955年)以降は5年ごとに開催されているショパンコンクールが終わった。1975年第9回のクリスティアン・ツィンマーマン以来、30年ぶりにポーランドから優勝者が出た。ラファウ・ブレハッチである。1985年生まれの20歳とのこと。さて、1980年の第10回以降、6位以内に毎回日本人が入賞している。今回も第4位に関本昌平と山本貴志の2人が入賞した。
 5年に一度しか開かれないコンクールで上位入賞を果たすには、技術力もさることながら、よほどの精神力(そして、財力)も必要であろう。入賞を心から祝福し、今後の活躍を期待したい。また、選に漏れた参加者たちの前途に幸あらんことを祈る。
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2005年10月17日 (月)

大蔵流十ニ世茂山千五郎の「鎌腹」{RETROSPECTIVE COMMOHEDGE 16}

 私は狂言が好きで、狂言を見るために能楽堂に通っていたことがある。古文はなかなか読み進められないが、狂言の登場人物の言っていることはほとんど問題なく理解できる。そして、おもしろい。何百年も前の中世の庶民の気持ちが今の時代に生きている自分によくわかって思わず笑ってしまう、というのはけっこうすごいことだと思う。いずれにせよ、深読みせずに楽しく心から笑える時間がもてることは、貴重である。狂言もまた、日本が世界に誇るべき芸能の1つであることに間違いない(というより、これ以上笑える伝統演劇って、どこの国を探してもなかなかないのではないかな)。
 さて、本題に入りましょう。今まで、私がいちばん笑ってしまったのは、大蔵流十ニ世茂山千五郎の「鎌腹」であった。何の屈託もなく心から笑ってしまった。あんなに楽しく笑ったことは、今までの人生を振り返っても数回しかない。その数回中でも最も清々しかったのはこの時だった。それほど心地よさを感じたのは、屋外のさわやかな夜気に触れていたことにも大いに関係していた。芝の増上寺の薪能を見ていたのである。
 ところが、ここでちょっとしたミステリーが発生した。増上寺の薪能の歴史を見ても、千五郎さんの「鎌腹」が出ていないのである。う〜ん、としばらく考え込んでしまったが、説明の冒頭で、「昭和49年に大殿を復興し、......これを機に、能楽堂の歴史をもつ増上寺でたびたび薪能が演ぜられるようになった」とあるから、第1回の前に何回か、カウントされていない薪能が催されたのだろう。いろいろな状況を勘案してみると、私が増上寺で「鎌腹」を見たのは、昭和52年前後のころではないかと思われる。
 「鎌腹」というのは千五郎演じる怠け者の亭主に愛想を尽かした妻が、鎌で腹を切ると言う亭主の意気地のなさを最後には見抜いて、舞台の袖に亭主をわわしく追い立てて退場するというお話。登場のしかたからしてそうぞうしい狂言であったが、千五郎さんはとても楽しそうに演じていて、その楽しさがこちらに伝わって来た。最初から最後まで、笑いっぱなしに笑ってしまった。
 その後、千五郎さんは人間国宝となり、四世茂山千作を襲名して今でもご活躍中のようである。
 追記: ちなみに、その日演じられた能は「葵の上」でした。     コメントをどうぞ

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2005年10月16日 (日)

俳優座の「ジュリアスシーザー」{RETROSPECTIVE COMMOHEDGE 15}

 1977年1月に、東横劇場で俳優座の「ジュリアスシーザー」を見た。訳は小田島雄志。タイトルロールは川原崎次郎。「ジュリアスシーザー」とは言うものの、実際に目立ったのはアントニーとブルータスである。仲代達矢がアントニー、加藤剛がブルータスを演じていた。
 この劇はもともと、この二人の対立が目立つようにできている。第三幕の二人の演説にそれが端的に示されている。シーザーにとどめを刺したブルータスが最初に、その次にアントニーが追悼演説をする。ブルータスの言うことだけを聞くとローマ市民もシーザーには殺される理由があったと思うのだが、そのすぐ後にはアントニーに扇動され、ブルータスをはじめとする暗殺者らを血祭りに上げようとする。
 アントニーの演説の前後の市民の心の変わりようはすごい。人は何と他人の影響を受けやすいことだろう。大勢の意見になびくのは、まさしく群集心理である(当然、観衆もローマ市民と同じ心情を抱くことになるかもしれない。しかし、そこが微妙なところで、加藤剛は二枚目であるので、なぜか善人にみえてしまったりした。そもそも、ブルータスは高潔の士なのだろうか?)。
 その後、ブルータス・キャシアスらの元老院派とアントニウス・オクタヴィアヌス連合軍の闘いはアントニウス側の勝利に終わる。そこに至るまでの、ブルータスとその妻の会話が、しみじみとした愁嘆場に聞こえてしまったりする。 
 スターの共演ということもあり、当時は話題となった公演であった。後年外国での上演を見た時に比べると全体にテンポが遅い感じがして、せりふ回しが日本調になってしまうところは確かにあったと思うが、Et tu,  Brute! で有名なこの劇は初見で,迫力もあっておもしろかった(特に,二陣営の対立が)。  コメントをどうぞ

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2005年10月14日 (金)

リアル大 Bach (正面顔)

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能面のような Bach から...
こうなります。コメントをどうぞ

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2005年10月13日 (木)

カスパール・ダヴィット・フリードリヒの「孤独な木」{RETROSPECTIVE COMMOHEDGE 14}

 ドイツロマン派というと音楽の分野を連想するが、絵画も並ではない。
 ここに、1枚の絵はがきがある。1985年に東京国立近代美術館の「19世紀ドイツ絵画名作展」で買った、カスパール・ダヴィット・フリードリヒ(1774〜1840)の「孤独な木」、別名「朝陽のあたる村」である。とても美しい絵だった。フリードリヒはドイツロマン派を代表する画家である。
 今年の「ベルリンの至宝」展にも出展されるということは知っていた。しかし、一度見た印象を二返目に打壊わすのは惜しいと思い、見に行かなかった。「孤独な木」の鑑賞は一度に限ると思う。
 などと書いてしまったが、実はあまりにもフリードリヒの絵に惹かれたので、「19世紀ドイツ絵画名作展」には確か3回通った気がする。今回「ベルリンの至宝」展ではフリードリヒの絵は3枚とのことだが、85年の時は「山上の十字架」や「希望号の難破」も来ており、数はもっと多かった。 
 中でも「孤独な木」がすごいと思ったのは、羊飼いが巨木に背をもたせかけている傍らで羊たちが草を食む一見のどかな風景に、ただならぬ気配が感じられたからである。ただ、それは精神に変調を来す前に陥るという世界没落感というようなものではないだろうし(それと紙一重かもしれないが)、目に見える世界の背後にある彼岸という感じに近いが、それともやはりちょっと違うと思う。
 怖いけれど、生き生きしていて美しい......。ポイントは、自己の内面を通して見た風景や自然ということだろうか(そこには、難破のような破滅的な要素も含まれる)。フリードリヒは、自分の内面を見つめることによって初めて見えてくる世界を描いた画家だった。うまく自己に沈潜すると、自然も人生も神秘的な輝きを帯びてくるのだろうか。

 

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