2005年9月24日 (土)

合唱劇「カネト」をうたう合唱団

 きのうの秋分の日、大学卒業以来20数年ぶりに、グリークラブ時代の友人と再会した。中勘助について書いたときに話題にした美声の彼である。愛知県からその彼が久しぶりに上京して来るから会わないかと、グリーの別の友人から連絡を受け、ベースの同級生3人で会うことになったのだった。
 五十前後まで生きていると、誰にでも紆余曲折がある。ひとしきりお互いの身の上話をしたあと、彼がこの10年来関わっているという合唱団の話になった。それはグリーのような男声合唱とは異なり、物語にそって親子で歌うものだそうだ。名前は合唱劇「カネト」をうたう合唱団という。
 ホームページを見ると、「飯田線中部の前身「三信鉄道」の建設時に、測量技師・現場監督を務めた、アイヌの技術者「川村カネト(川村カ子ト)」氏の生涯を題材とした合唱劇です」との説明がある。
 こんなふうに地域の親子で活動している合唱団があることを知って少々驚いた。この合唱劇の作曲者藤村記一郎氏はアマチュアで、高校で数学の先生をされており、他にも氏の作品である「ぞうれっしゃがやってきた」をうたう合唱団もあるとのこと。
 子供たちにいろいろと東京の土産話をしてあげるのだ、という友人の話しぶりは楽しそうだった。汐留カレッタを見たいという彼の希望で、日テレプラザのタリーズコーヒーでお茶して、お開きに。新橋駅で、またの再会を約した。 コメントをどうぞ

追記: 「これ知ってる?」 と、最近出た「のだめカンタービレ」の第13巻を彼が取り出した。名前は知っていたけれど、読んだことはない。やっぱり読んでみようかな。

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2005年9月 2日 (金)

Your Arms Too Short to Box With God {RETROSPECTIVE COMMOHEDGE 6}

 まず、タイトルについて。間違えて、Our Hands Too Short to Box With Godと記憶していた。今回、インターネットで検索してみてOur Hands......の形では1件もヒットしない。たぶんいつの頃からか、勘違いしてしまったらしい。なぜだろう?  それはともかく、このタイトルは、「神とボクシングするには腕が短すぎる」という意味である。
 本題に入る。このGospel musicalは、今までに見た舞台のなかでも特にすばらしかった。自分の属している文化(日本)とは明らかに違うものがそこで展開されていた。俳優の存在感がすごい。とりわけJesus Christ の精悍な男優が印象に残っている。この観劇は、タングルウッドでのトホホ体験に先んずること10日くらい、1976年夏のフィラデルフィアでのことであった。
 まず、歌って踊れるというのはこういうこと、という見本がそこにあった。どちらも半端ではない。若かったのでその時までにいろいろな舞台を見たというわけでもなかったが、その後もこれほどダイナミックなダンスは見ていない。
 そして、エンターテインメントと融合した信仰。世界のどこでもそのような形の信仰はめずらしくないだろうが、ゴスペルの場合は魂の叫びといった激しさがある。もともと奴隷から解放されることを願う黒人の間で始まったとされているから、切実な心が表現されるのは当然だろう。歌で、ダンスで、その心が表現される。Jesusに救いを求める気持ちが自然に観客の行動に現れる。それで、舞台の進行とともに観客は大いに盛り上がる。クライマックスでは総立ちである。もちろん私も立って手拍子を打ちまくった(けっこう乗りやすいのです)。
 観客は私を除いてすべて黒人だった。私はその中の誰一人として知らない。周りの人たちからは場違いな黄色人種がいるとみられていたかもしれない。そんなことは誰も気にしていなかったのかもしれない。いずれにせよ、私はその場の熱狂的な盛り上がりを楽しみ、劇場と一体となり、忘れがたい一夜を過ごしたのだった。
 話がそれたが、言いたかったのは、「自分が周りと違う」ことが一見してわかるという体験ができた点でもこの観劇は貴重だった、ということである。異質なものに触れることは自らを振り返るきっかけとなる。この日の経験からばかりではないが、アメリカをバスで横断する4週間ほどの旅の後、私は日本の文化に興味を持つようになった。
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2005年8月29日 (月)

興福寺北円堂の無著・世親像 {RETROSPECTIVE COMMOHEDGE 4}

 言葉もない。すごすぎる。それなのに、のどかだ......。興福寺の北円堂を初めて訪れたとき、そんなふうに感じた。
 国宝である運慶作の無著・世親菩薩立像がそこにおわしますことは、まったく知らなかった。順路と思って、たぶん国宝館から北円堂に向かったのだと思う。そして、忘れ得ぬ出会い。無著が兄で世親が弟(兄弟にしては似てないな)。二人のリアルさ。木肌があらわであるにもかかわらず、本当にこんな人がいそうだな、とつい思ってしまうその圧倒的表現力(といっても、二人ともインドの人なので、日本人のように見えるのは本当はおかしいのだが)。こんなのを作るのは、ほとんど人間わざではないと思って、見入ってしまった。もう二十何年か前の話だ。
 その日は春の一日でぽかぽかしており、お堂の回りには草が生い茂り、石壇にはなぜかカマキリがよじ上って、うろうろしていた。「おい、カマキリ君、きみも精が出るねえ」と声をかけたいくらいだった。「でも、ありがたい仏様なんて、てんで眼中にないんだろうね!」
 今、この二尊が「興福寺国宝展」で仙台を回っておられる。またいつか、奈良でお二方にお目にかかりたい。無著・世親はやはり北円堂に限ると思う(弥勒如来様、ごめんなさい。お弟子さん方のことばかリ話題にしてしまいまして......)。
 行かれる方へ: 今年は秋に特別開扉があるそうです(10/29から11/13)。
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2005年8月27日 (土)

Tanglewood, August, 1976 {RETROSPECTIVE COMMOHEDGE 1}

 Tanglewood (タングルウッド)にはようやくたどりついた。いちばん近いグレイハウンドのバス停から森の中の舗装された道路を歩くこと数キロ(だったと思う)。ボストンのデポでそこへの行き方を尋ね、バス停からかなり歩くことは聞いていた(と思う)。バスを降りて歩き始めて、右か左か、どちらなのか迷ったこともあった(ような気がする)。そんなこんなで、心細い道をとぼとぼ歩いて、ようやくたどり着いたクーセヴィツキー・シェッド。ちょうど、いまごろの季節だった。
 ところが、なんとバッハの「マタイ受難曲」は終わりがけであった。せいぜい最後の20分か30分が聴けただけだったように記憶している。雲はちらほら漂っていたものの、空は青くて天気はよかった。まわりの芝生には人がごろごろ横たわり(これが、受難曲を聴く態度?)、鳥はさえずり(音楽にはじゃまと感じた)、小澤征爾指揮するボストン交響楽団と合唱団は、はるか彼方に小さく見える。音はよく聞こえてこない。一言でいえば、私のTanglewood体験はトホホであった。
 夏の避暑地でなぜ「マタイ受難曲」なのか、その理由はパンフレットか何かで読んだかもしれないが、今は忘れてしまった。アメリカ建国200年祭と関係があったのかもしれない。何せアメリカは、宗教的理念で建国された国だから。
 教訓 : 旅行者としてツアー以外でタングルウッド音楽祭を訪れるのなら、タクシーないしレンタカーをお薦めします。
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