2006年11月 6日 (月)

チャイコフスキー

 11月6日はチャイコフスキーの命日である。改めて計算すると、彼は53歳で亡くなっている。今の基準からすると、若死にとさえいえるかもしれない。今年の『音楽之友』7月号に掲載されている読者投票によるランキングでは、チャイコフスキーは、モーツァルト、ベートーベンに次いで、好きな作曲家の第3位に入っている。日本人には人気があるようだ。

 私は特に交響曲第6番の『悲愴』が好きだ。それと、弦楽セレナードとクルミ割り人形と...。この人がいなければ、今あるバレエの重要なレパートリーがなくなっていただろう。今日は、そのチャイコフスキーの文字絵をアップします。

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2006年10月 1日 (日)

文字絵の「なつかしさ」

 見たことがないのに、目にするとなつかしいと感ずるもの…、それは文字絵。ココログで「へのへのもへじ」を検索してかわいい文字絵を見つけ、そんなことを考えた。モーツァルトや作曲家たちを初めて見たテレビ埼玉のコメンテーターからも、「なつかしい」とのコメントをいただいた。感情を司るという大脳辺縁系に関係しているのだろうか…。とりあえずそれはさておき、なつかしいと感ずる理由を考えてみた。
 それはたぶん、子供の時に感じた全能感を思い出すからではないだろうか。字をかけるようになることはうれしい。絵を描くことは楽しい。自分が線を引いて絵が描けるという感覚。しかし、字と絵は本来異なるジャンルに属していて、遊びであるということは子供心にもあまりにも明らかだ。だからこそ、その遊びのなかで自分が創造主となって、世界を作り上げているという満足感。つまり、文字絵はそのような子供時代の全能感の心地よさをなつかしく呼び覚ましてくれる。
 散文的な仮説だが、そんなところかもしれない。小学校唱歌のようななつかしさに少し近いかもしれないけれど、管理されていないという点では文字絵は大いに違う。例えば、歩道に蝋石で落書きするのは、管理を離れた開放感がある。だから、おなじ「なつかしさ」といっても、文字絵には「えへっ」とか「フフッ」とかいういたずらを見つけられたような、それで肩をすくめたような、何というかちょっと照れくさいところがある。文字絵を描いている時、人は心理的に自分に正直に、そして無防備になって、絵を描く楽しみに没頭する。要するに、無邪気な楽しみにふける。自分にも無邪気に楽しめたころはあった。日本人の多くがそのように感ずるのではないだろうか。

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2006年9月 4日 (月)

ごくらく三人男と弥勒菩薩

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幸せな三人です。あ〜、きれい、うまい、気持ちいい〜。

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2006年9月 1日 (金)

再び『銀の匙』、そして「癒しの文字絵」

 大修館書店の月刊『言語』1984年4月号の特集は「文字へのいざない」で、そこに興味ある記事を見つけた。以下に引用する。

...(前略)中勘助は『銀の匙』で、

 平仮名の「を」の字はどこか女の坐った形に似ている。私は小さな胸に、弱い体に、なにごとかあるときにはそれらの「を」の字に慰藉を求めていたので、彼らはよくこちらの思いを察して親切に慰めてくれた。

と人目を離れて〈を〉の字を落書きした子供の頃を書いている。アルファベットいずれかの文字の姿に慰藉を求める子供が欧米にいるかもしれない。

 これは「文字の遊び」と題する郡司利男先生の文章の一節である。日本には文字を人に見立てる文化が確かにあった。例えば、「乃」の字を杖をついた人に見立てて「杖つきの乃」と呼んでいた。『銀の匙』の「を」の中勘助の場合も、そういう伝統に連なっていたのかもしれない。『銀の匙』には「ヘマムシ入道」も出ているので、これは文字絵関連の文献として貴重な本だと改めて思った。
 そう言えば、山東京伝の『奇妙図彙』に「をいらん」というのがあった。そこでは、「を」は女の人の結った髷に見立てられていた。中勘助の場合は坐った女の形というから、髷ではなさそうだ。
 ところで、郡司利男先生のおっしゃるように、アルファベットの文字の姿に慰藉を求める子供は欧米にもいるのだろうか。欧米とはいわず、今の日本ではどうだろう。古今東西の文献をあたれば、似たような感性を見出せるのかもしれない。でも、アルファベットを書く欧米の人を何人か見たことがあるが、カナ釘流の字が多かった。アルファベットの1字を何かに見立てて慰藉を得ることがあるようには思えない(と言っては失礼であろうか)。いずれにせよ、書くことによって落書きでもわずかな慰藉が得られれば小さな子供には十分なのだろう。だからこそ日本では「へのへのもへじ」が今もどこかで書かれていることになる。
 そう考えると、「慰藉」というのは文字絵にとって一つのキーワードになるかもしれない。はやりの言葉で「癒し」と呼んでみてもよい。「癒しの文字絵」、う〜ん、なかなかいい。こういうふうに個人的な「慰藉」や「なつかしさ」の感情が28億円のブランクーシに対抗できる点だと思う(この件はまた別稿で)。
 ということで、そういう「癒しの文字絵」の例をここで紹介いたしましょう! これは2004年の東京都文京区の第55回絵画展で奨励賞をいただいたこもへじの作品であります。絵解きは後日ということで、きょうはコメントなしで絵の写真のみをアップします。そうそう、タイトルは『文字絵ごくらく大温泉』です。

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2006年8月31日 (木)

アハ・センテンスとアイリッシュ・ブル

 「きょう欠席している人は挙手してください」のように、文法的には正しいが論理的にはおかしい文を「アイリッシュ・ブル」(Irish bull)という。単に、ブルともいう。
彼は子供が生まれない家系の出身だ。」(いないはずの彼は誰?)
 他にもある(以下の2つは『ことばのおもしろ博学』1984年、永岡書店より)。
「同時に二カ所にはおれませんよ、鳥じゃないんだから」
(アリバイがあると言いたい犯人。しかし、鳥だって同時に二カ所にはいられない)
ロンドン郊外の墓碑銘
「ジョン・スミスの亡骸ここに眠る
彼 海に出て遭難し 帰ることなかりき」(すると、ここにあるのは誰の骨?)
 さらに、Wikipedia の例では、
"Always go to other people's funerals, otherwise they won't come to yours." - Yogi Berra, baseball player (1925- )
葬式には顔出しときな、じゃないとお前ん時にゃ誰も来てくんないぜ。
 ブルとは、要するに以上のように矛盾したとんちんかんな言い草である。無手勝流というか、とても勝手な言い分ながら、ブルには妙に説得力があったりする。言っている本人が自分の発言にまったく疑問を感じていないから、その勢いにつられてしまったり、ペースにはまってしまうということだろう。ブルを笑い飛ばすには、どこから飛んでくるかわからないボールを、さっとかわすフットワーク(もちろん、メンタルな意味での)が必要かもしれない。
 さて、ここからが「アハ・センテンス」(Aha sentence)の話となる。初めてアハ・センテンスというのを聞いたとき、アイリッシュ・ブルを連想した。ともに内容が矛盾しているように思える点で似ているように感じたのだと思う。しかし、上で説明した通り、アイリッシュ・ブルは本当に矛盾しているが、それに対してアハ・センテンスは、キーワードを与えられるとコンテクストが一気に理解できて、矛盾が解消し、腑に落ちる。そうして一瞬で答えがわかるときにひらめきが生まれ、脳が活性化するという。それはそれでいい。アハ・センテンスは確かに面白い。しかし、矛盾していそうな文章でもキーワードを考えることによって矛盾が解消します、だから答えを考えてくださいね、というように、型にはまったというか、ルールが決まっていて堅苦しいというか、そういうところがちょっと…、と感じないこともない。
 繰り返すけれど、アハ・センテンスは面白いと思う。だけどアイリッシュ・ブルだって面白いよ、ということを言いたかったのだ、たぶん私は。要するに、アハ・センテンスが注目を集めているから、アイリッシュ・ブルを判官びいきしているっていうことかもしれない。ブルは「むちゃくちゃでんがな」と馬鹿にできるところがいい。ただ、それは、ブルの矛盾がわかった場合のことである。実は、あまりおおっぴらには言えないのだが、私は自分が例えば4つあるブルのうちの3つくらいはわからない人間じゃないだろうか、と秘かに不安を感じていたりする。もしそうなら、私自体がアイリッシュ・ブル的頭脳構造をもつ存在かもしれない。そのくせ、面白いアイリッシュ・ブルの一つさえ吐くことができない。おお、何たる不条理な存在だろう私は! (「おい、お前、ブルってるな」なんて言わないでね!)
 おやじギャグで締めるのはさすがに気が引ける。で、最後にまじめな(?)お勧めであるが、面白い上等なブルを一つでも二つでも考えてみませんか。けっこう難しいですよ^^;)。

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2006年8月30日 (水)

トリケラトプスのワークシート

 小学1年生のころ、ひらがなを習ったとき、うすくグレーで書かれたひらがなをなぞったことはありますよね。そんな感じでなぞって練習するワークシートです。適当に何回かアルファベットをなぞってトリケラトプスを描いたら、あとは紙に自由に描いてみましょう。このワークシートは一種のお手本のようなものだけど、あなたのトリケラトプスには、きっとあなただけの筆跡が感じられるはず......。
 と(T)げじゃない!  り(ri)っぱな角で  ceratops と唱えながら描いてみてください。ceratops (ケラトプス)のところが少しいそがしいけれど、Tとriでゆっくりめに時間をかけてかっこいい角を描いた後に、一気にささっとやっつけよう!

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2006年8月29日 (火)

ティラノ対トリケラ、宿命の対決

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2006年8月26日 (土)

Rushing Dinosaurs : 先には何がある ...?

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文字絵研究所、だいじょうぶかなぁ〜。これからどうなるんだろう?

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2006年8月17日 (木)

クラシックパークにティラノ現る!!!

 (LDP=驚動) 17日午前10時ごろ、もじえ王国最大のテーマパークであるクラシックパークに突然ティラノサウルスが現れ、「文字絵の夏」音楽祭開催中のロイヤルフィルハーモニーホールに乱入した。オープニングコンサートで演奏されていた第九交響曲は中断され、オーケストラと聴衆は緊急避難した。その際、ごくらく温泉館の串だんごじいさんが頭に軽傷を負い全治3日間のけが。このティラノサウルスは中フェルマータ山のふもとにある時空のトンネルから飛び出してきた、という未確認情報も寄せられている(もじりアート)。

 第九交響曲を指揮していたベートーベン氏の話: とんでもない奴だ!!  焼き鳥にしてやる!!  赤ワインに合うかもしれん!!

 文字絵研究所こもへじ所長の話: どうやら漢字が好物のようです。今のところ漢字と見れば見境なくかぶりついています。画数の多い漢字をみつくろって餌付けできそうですが、危険ですからできるだけ早くどこかへ引き取ってもらいたいですね。

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もじえ王国に現れたティラノサウルス。急激な成長期にあるらしく、漢字を食べ続け、見る間に体が大きくなっている。

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2006年8月10日 (木)

リストさん、呼びました?

 きょう自動車を運転していたら、FMラジオから聞いたことのある曲が流れてきた。リストのピアノ協奏曲第1番のおしまいのほうだった。その後には巡礼の年第3年の「エステ荘の噴水」。残念ながら「噴水」の途中で駐車場に着いてしまい、一時の涼は消え失せた。どうしようか迷ったが、野暮用で急いでいたこともあってそのままリストさんとはお別れした。
 これは、一種のシンクロニシティだろうか(緩くはあるが)。シンクロニシティ......共時性と訳されているユングの分析心理学の用語で、意味のある偶然の一致という意味である。この2週間くらいリストのことを考えていた。実は、7月31日はリストの命日で、その日にリストの絵描き歌をブログにアップしようと思っていたのである。しかし、テレ玉の放送の後で何だか力が抜けてしまって、のびのびになっていた。
 ということで、シンクロ二シティの話はまたいつかすることにします。きょうはリストの絵描き歌をどうぞ。

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