2011年5月31日 (火)

ハイドンの花見 : 「さくらさくら パパハイドン」

 日本古謡『さくらさくら』の最後の節の替え歌で描くハイドンのプロフィールです。パパハイドンの命日に、勤勉だった大作曲家を偲んで...。

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2010年12月24日 (金)

バッハさん 「アリア、コラール、はい、どうぞ」 : Bachの絵描き歌

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 師走といえば、第九。しかし、バッハも年の瀬に乙なもの、という気がします。暖炉のそばでこの季節に聴くオラトリオや受難曲、絵になりすぎですね。あるいは、ぐっと和風に、こたつの中でみかんと管弦楽組曲とかブランデンブルク協奏曲、という組み合わせもいいかもしれません。さすがに、おでんとオルガン曲はミスマッチでしょうか?
 ということで、今宵はバッハの絵描き歌です。注文に応じて、アリアでもコラールでも、カンタータやオラトリオでも、何でもござれですぐ作れます、というイメージですよね、バッハさんは...。ここでは、さあできましたよ、とバッハが曲を持ってきたという場面です。「 セバスチャン」あたりは字が詰まっていますから、描きにくかったらリタルダンドぎみにどうぞ。


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2010年12月17日 (金)

ベートーベン完全ふっか〜つっ!!! 祝生誕240年記念!!! ベートーベンの絵描き歌(傑作かも?)

 ベートーベンの誕生日ははっきりとはわかっていませんが、今日、12月17日とされています(16日という説もあるようですが、洗礼の日からすると、まあこのころなのでしょう)。

 それでもって、けさ、ベッドの中でぼーっと考えていました。何を? ベートーベンを調子よく描ける絵描き歌を...。その結果、できました。発表いたします。祝生誕240周年の絵描き歌!!! 

 よく知られていることですけれど、ベートーベンは若いときに耳が聞こえなくなるという病いのために、遺書まで書いたことがありました。1802年の10月のハイリゲンシュタットの遺書と呼ばれるものですれど、その後、絶望から立ち直って1803年から1804年にかけて、交響曲第3番変ホ長調「英雄」を作曲したのでした。すごい精神力ですね。

 で、このベートーベンの絵描き歌は、さらにその後、1806、7年ごろに交響曲第4番変ロ長調(B flat major)、1804年から1808年にかけて、交響曲第5番ハ短調「運命」(と呼びたいなあ、使い慣れた愛称で...)を完成させたころのベートーベン、という思い入れで描いてみて下さい。何調で作曲しようかなと考えていて、「そうだ!  やっぱり変ロ長調とハ短調にしよう」と決めたころのベートーベン...、まあ、今から204、5年前の話でしょうか。

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 すでに師走も半ばが過ぎ、日本のあちこちで第九が演奏されています。第九ももちろん傑作だと思いますけれど、クラシック音楽の代名詞は、これからもずっと交響曲第5番ハ短調の第1楽章、特にその冒頭の4つの音じゃないかなあ。では、また。

 

 

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2010年12月 3日 (金)

マーラーの絵描き歌 : 「さすらう若人の歌」の第1曲 Wenn mein Schatz Hochzeit macht の表情記号による

 マーラーの歌曲集「さすらう若人の歌」は傑作!!  起承転結とも、交響曲や弦楽四重奏曲の4楽章構成とも、似ているようで違うみたいだが、とにかくまとまりがよい。テーマは失恋とあきらめと、そしてたぶんそこからの立ち直りということで、とてもわかりやすい。内容はロマン的だが、形式には古典的な均整すら感じられる。全4曲演奏しても20分足らずなのが、またよい。(最近は長いのは何事によらず苦手です。)
 昔、福永陽一郎編曲の男声合唱版を歌ったことがある。どの曲もすばらしいのだが、個人的には 第4曲のDie zwei blauen Augen (「恋人の青い瞳」)が白眉だと思う。  
 それと、演奏フィッシャー=ディスカウがよい。これまた昔、学生寮の隣人にLPを聴かせてもらったことがある。最近、ユーチューブやN響アワーでこの歌曲集の演奏を見たのだが、う〜ん、とうなってしまった(もちろん、感心したのではありませんよ、念のため)。
 とかなんとか、前置きが長くなっちゃったけれど、今日は
「さすらう若人の歌」の第1曲のWenn mein Schatz Hochzeit macht の表情記号による絵描き歌です。モルトモデラートで始まり、
リタルダンドで終わります。 自作を指揮するマーラー、という思い入れです。情感を込めて描いてみてくださいね!!!

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2006年11月 6日 (月)

チャイコフスキー

 11月6日はチャイコフスキーの命日である。改めて計算すると、彼は53歳で亡くなっている。今の基準からすると、若死にとさえいえるかもしれない。今年の『音楽之友』7月号に掲載されている読者投票によるランキングでは、チャイコフスキーは、モーツァルト、ベートーベンに次いで、好きな作曲家の第3位に入っている。日本人には人気があるようだ。

 私は特に交響曲第6番の『悲愴』が好きだ。それと、弦楽セレナードとクルミ割り人形と...。この人がいなければ、今あるバレエの重要なレパートリーがなくなっていただろう。今日は、そのチャイコフスキーの文字絵をアップします。

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2006年10月 1日 (日)

文字絵の「なつかしさ」

 見たことがないのに、目にするとなつかしいと感ずるもの…、それは文字絵。ココログで「へのへのもへじ」を検索してかわいい文字絵を見つけ、そんなことを考えた。モーツァルトや作曲家たちを初めて見たテレビ埼玉のコメンテーターからも、「なつかしい」とのコメントをいただいた。感情を司るという大脳辺縁系に関係しているのだろうか…。とりあえずそれはさておき、なつかしいと感ずる理由を考えてみた。
 それはたぶん、子供の時に感じた全能感を思い出すからではないだろうか。字をかけるようになることはうれしい。絵を描くことは楽しい。自分が線を引いて絵が描けるという感覚。しかし、字と絵は本来異なるジャンルに属していて、遊びであるということは子供心にもあまりにも明らかだ。だからこそ、その遊びのなかで自分が創造主となって、世界を作り上げているという満足感。つまり、文字絵はそのような子供時代の全能感の心地よさをなつかしく呼び覚ましてくれる。
 散文的な仮説だが、そんなところかもしれない。小学校唱歌のようななつかしさに少し近いかもしれないけれど、管理されていないという点では文字絵は大いに違う。例えば、歩道に蝋石で落書きするのは、管理を離れた開放感がある。だから、おなじ「なつかしさ」といっても、文字絵には「えへっ」とか「フフッ」とかいういたずらを見つけられたような、それで肩をすくめたような、何というかちょっと照れくさいところがある。文字絵を描いている時、人は心理的に自分に正直に、そして無防備になって、絵を描く楽しみに没頭する。要するに、無邪気な楽しみにふける。自分にも無邪気に楽しめたころはあった。日本人の多くがそのように感ずるのではないだろうか。

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2006年9月 4日 (月)

モーツァルト氏の門出を祝す

 モーツァルトさん、初めまして。アマデウス・ブログを毎回、楽しみに読ませてもらっています。
 わけのわからない上司をもつと、大変だよね〜。でも、大司教コロレドさんはわかりやすいほうじゃないかなあ。権力があると威張りたくなるのは人の常だからね。中にはもっと下っ端なのに、もっと陰険なのもいるよ。ぼくも何人か経験ずみさ。
 結局、ウィーンでの自立を決断したんだって。すごいね。フリーでやっていくのはきついと思うけれど、君ほどの才能があればきっとうまくいくよ。でも、お金をもらうって大変なことだから油断しないでね、とチョッと先輩風を吹かせておこうかな^^。
 ところで、君のブログの右上に掲げてある肖像は、確か24、5歳のときのものじゃなかったかな。先月から気になって見ていたんだけど…。実は、ぼくはけっこう君のファンなんだ(といっても、きょうのバイオリンソナタは初めて聴いたけどね^^;)。
 それで、秘かに君の似顔絵を描いたりしている。それも、ただの似顔絵じゃない。ひとたび描くと署名にもなるという優れもののアルファベットの文字絵だ。描き方はここにある。君の門出を祝って、ひとつそれを君に贈ろうと思う。受け取ってもらえるとうれしい…。では、また。                 こもへじ

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ごくらく三人男と弥勒菩薩

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幸せな三人です。あ〜、きれい、うまい、気持ちいい〜。

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2006年9月 1日 (金)

再び『銀の匙』、そして「癒しの文字絵」

 大修館書店の月刊『言語』1984年4月号の特集は「文字へのいざない」で、そこに興味ある記事を見つけた。以下に引用する。

...(前略)中勘助は『銀の匙』で、

 平仮名の「を」の字はどこか女の坐った形に似ている。私は小さな胸に、弱い体に、なにごとかあるときにはそれらの「を」の字に慰藉を求めていたので、彼らはよくこちらの思いを察して親切に慰めてくれた。

と人目を離れて〈を〉の字を落書きした子供の頃を書いている。アルファベットいずれかの文字の姿に慰藉を求める子供が欧米にいるかもしれない。

 これは「文字の遊び」と題する郡司利男先生の文章の一節である。日本には文字を人に見立てる文化が確かにあった。例えば、「乃」の字を杖をついた人に見立てて「杖つきの乃」と呼んでいた。『銀の匙』の「を」の中勘助の場合も、そういう伝統に連なっていたのかもしれない。『銀の匙』には「ヘマムシ入道」も出ているので、これは文字絵関連の文献として貴重な本だと改めて思った。
 そう言えば、山東京伝の『奇妙図彙』に「をいらん」というのがあった。そこでは、「を」は女の人の結った髷に見立てられていた。中勘助の場合は坐った女の形というから、髷ではなさそうだ。
 ところで、郡司利男先生のおっしゃるように、アルファベットの文字の姿に慰藉を求める子供は欧米にもいるのだろうか。欧米とはいわず、今の日本ではどうだろう。古今東西の文献をあたれば、似たような感性を見出せるのかもしれない。でも、アルファベットを書く欧米の人を何人か見たことがあるが、カナ釘流の字が多かった。アルファベットの1字を何かに見立てて慰藉を得ることがあるようには思えない(と言っては失礼であろうか)。いずれにせよ、書くことによって落書きでもわずかな慰藉が得られれば小さな子供には十分なのだろう。だからこそ日本では「へのへのもへじ」が今もどこかで書かれていることになる。
 そう考えると、「慰藉」というのは文字絵にとって一つのキーワードになるかもしれない。はやりの言葉で「癒し」と呼んでみてもよい。「癒しの文字絵」、う〜ん、なかなかいい。こういうふうに個人的な「慰藉」や「なつかしさ」の感情が28億円のブランクーシに対抗できる点だと思う(この件はまた別稿で)。
 ということで、そういう「癒しの文字絵」の例をここで紹介いたしましょう! これは2004年の東京都文京区の第55回絵画展で奨励賞をいただいたこもへじの作品であります。絵解きは後日ということで、きょうはコメントなしで絵の写真のみをアップします。そうそう、タイトルは『文字絵ごくらく大温泉』です。

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2006年8月30日 (水)

トリケラトプスのワークシート

 小学1年生のころ、ひらがなを習ったとき、うすくグレーで書かれたひらがなをなぞったことはありますよね。そんな感じでなぞって練習するワークシートです。適当に何回かアルファベットをなぞってトリケラトプスを描いたら、あとは紙に自由に描いてみましょう。このワークシートは一種のお手本のようなものだけど、あなたのトリケラトプスには、きっとあなただけの筆跡が感じられるはず......。
 と(T)げじゃない!  り(ri)っぱな角で  ceratops と唱えながら描いてみてください。ceratops (ケラトプス)のところが少しいそがしいけれど、Tとriでゆっくりめに時間をかけてかっこいい角を描いた後に、一気にささっとやっつけよう!

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